九州道基山PAで思う
2010/01/23記
 九州の玄関である博多・天神や福岡空港から高速バスは多方面に発着しているが、大分と長崎のように地方都市間の直通バスは殆ど無く、かつて安価な高速バスでそれらの都市間の移動を行う場合は、わざわざ博多・天神まで出てくる必要があった。大分や長崎に分岐する鳥栖JCTから博多・天神までの区間を無駄に往復することになり金額も時間も無駄な支出となっていた。
 そこで、国土交通省は鳥栖JCTから博多側に向かって最初の本線バス停である基山PAに全てのバスを停車させる社会実験を実施し、利便性向上に伴いバス利用者が増加したという実績を上げたという話を聞いた。
 社会実験は2007年7月1日から開始され(→詳細)、2ヶ月間の評判が良かったため本格運用に至っていると聞いた。これは一度見に行かねばならないと思っている頃に全日空から溜まったマイレージで航空券の交換が出来るポイントの期限が近づいている事を知り、遠いが出かけることに決めた。なお、政務調査費は全く使用していないことを記載しておく。
 
 せっかく九州まで行くのだからと、雲仙普賢岳登山や日本最南端スキー場巡りなど余分な事もしてきたが、20日の昼にレンタカーで基山PA(上り)に到着し、直ぐにバス停を見に行く。
 バス停の配置は左の写真のようにPAの休憩施設とは離れ、本線に近い場所に島状に設けられていた。従って、バス停の利用者が外から出入りするためにはPAに出入りする車両の導線と交差することになる。ここでは歩行者がボックスに下がっていくことで下を潜る処置をしてた。それを伝わって下り線側にも行って見る。
 
 木更津の金田で乗り換えを考えるという事は、例えば横浜線が出ていない君津から東京行きに乗って、金田で木更津発の横浜線に乗り換えるように同方向での乗り換えが主になるだろうが、中には君津から東京行きに乗って、金田で下り線に回り羽田発の茂原行きに乗り換えるという事で、君津から茂原のように房総半島内のバスネットワークの中心になる可能性を持っていることを考えねばならないと思うのだ。
 
 基山PAの下り線には大分・長崎・宮崎・鹿児島など多くの路線が集中して来るので、それに対応した多くのブースを設けているのかと思ったが、バスの待合室の前には2台が停止できるスペースが設けられているだけで、長さも30m程度に過ぎない簡単な物であった。
 到着したバスのドアが開くと運転手が『○△行きですよ』と待合室に届くように声をかけ、目的のバスでなければ乗らない、という実に単純な対応を行っていた。これは便数が少ないから出来るのかと思ってダイヤを見ると、結構過密ダイヤである。

 写真では見にくいかもしれないが、例えば平日の9時台の1時間を拾ってみると、佐賀6便、久留米4便、熊本3便、佐世保・日田・由布院・別府・大分が各2便、大牟田・宮崎・鹿児島・長崎が各1便と、合計で27便が運行している事になる。2分に1便は停車する計算だ。それを2箇所のブースで裁いているのである。ちなみに現在金田BTで最も混雑する時間帯は平日7時の上り線であり時間15便である。本線上のバス停なら大きな施設でなくても対応可能であることが解った。ただし、バス停での昇降者数が少ないから停車時間も短くなり運行可能だが、大勢が乗り降りすると難しいという事は考えられるので、簡単には結論を出せない。
 
 乗り換えの利便について着目すると、上り線と下り線を行き来するさいに、本線下の歩道幅員が狭い事と2輪車の不正通行防止の車止めが煩雑な事を除けば斜路でスムーズに結ばれており特に苦痛は感じないし、案内標識も上手く配置されていたから迷うことは無いだろう。
 さらにはPAの休憩施設も外部からの利用が出来るようになっており、例えばスーバックスで珈琲を飲みながら乗り換えのバスを待つことも可能なのである。金田で実施する場合も快適性を考え、『わくわく市場』との関係などを考えるべきだろう。
 
 外部の駐車場を見に行って驚かされた。高速バスを降りるときに乗務員からサービス券を受け取ってくれば、最初の48時間を200円で駐車できるのである。ちなみにサービス券が無い場合は1000円で、1日にすれば500円と木更津の相場である。
 駐車場の管理会社は西鉄ビルマネージメントと記載されていたので、基山町が整備したのではなく、九州最大のバス網を持つ西鉄グループがバスの利用を促進するために設置したのだろう。PAで聞くと、昨年2月23日に運用を開始したと言うことで、まだお試し期間料金なのかも知れないが、この手法は上手いと思うし、自治体が多くを整備する必要も無いと思うところでもある。
 
 金田総合バスターミナルの整備について、事業主体や形状についても議論がなかなか先に進んでいないが、成功事例をよく調べれば、大きな投資もなく、それでいて地域のためになるものを作れるのではないか、そんな事を遠い九州で考えてきた。