国政の混乱で思う
2010/05/09記
 鳩山代表が普天間基地について「最低でも県外」と移設先を公言して戦った選挙により沖縄の全ての選挙区で与党議員が勝利したのは昨年の夏のことであった。全国的にも民主党の躍進で政権交代となって約8ヶ月を向かえる。政治主導により事務次官会議を廃止したり事業仕分けを実施したり、当初は何かが大きく変わるものと期待していた国民も、政治と金の問題や普天間(個人的には那覇軍港や多くの沖縄での訓練用地の返還も気になる)の迷走などで民主党に幻滅してしまった国民が増えているようだ。
 一方、最大野党の自民党からは選挙前に「みんなの党」が独立しただけでなく、最近は「たちあがれ日本」「新党改革」などが離れて行くなど、一致団結は逆のベクトルが働き、国民の希望を一心に集められる状況に置かれていない。細川内閣の野党時代にも「新党みらい」「(柿沢代表の)自由党」などがバラバラと分かれていった時と似た状況であるように思える。
 そんな状況を変えるつもりで地方自治体首長等が「日本創新党」を結成したが、地方と国をどう位置づけるか見えてこない。そもそも、地方主権を唱えた現政権が地方に権限や財産を回す準備をしているようには見えない。
 
 今回の民主党の大きな罪は、争点を明確にした選挙を行って圧倒的な議席数を確保しても、政策が変更されない事態が多々生じるという事を示してしまった事だと、私は思っている。
 その民主党の罪により、国民は政党がどんな素晴らしい公約を主張しても「どうせ出来ないでしょう」というあきらめの感情を抱いてしまっている。
 そんな状況の中で行われる今年の夏の参議院議員選挙は、政治不信の中で極端な投票率の低下が生じるのではと危惧されるが、そのような中で、地方議員である私は民主主義を信じるよう、どう行動すべきか、時として途方に暮れることがある。
 
 市議会議員となって3年を経過する中で気づくことは、繰り返し改革を主張していれば、幾つかの障害を乗り越えてでも市政がゆっくり方向を変えてくれると言うことであり、それが為に論理的に正しいことを発信する必要があると言うことである。
 日常の公的業務は行政と住民により行われるが、政治家というのは継続して発信することや、ある時は住民の啓発を行うことで、よりよい生活を目指して行くものだと考えると、総理大臣の言葉が幾ら軽くても、草の根で信頼を得られる活動を続ける重要性を強く感じざるを得ないのである。
 政治家に唾を吐くような発言をすることが格好良いとか爽快だと思うような世の中になってしまったら、それは民主主義の死になってしまうだろうし、自由を失う社会が目前に迫って来るだろう。
 
 国政で失われた政治への希望が、地方でも失望につながらないよう、より一層努力せねばならないだろう。特に重要なことは3月末に行われた木更津市長選挙で現職の水越市長を推薦し当選した立場としては、選挙の最中で水越市長が各地で約束したことを実行してますか、市民に嘘をついていませんかと確認し、補正することが私がすべき仕事になるのだろうし、それが政治に対する信頼の回復と成っていくのだろうと思う。その為には政治家としては当然であるが壁を越えるために技術者としての奉仕も必要だろう。
 岩根区長会の総会の前にその様なことを考えていた。