東京湾での漁業を考える
2010/05/24記
 木更津市の夏を飾る港祭りで流れる『やっさいもっさい』の歌詞は“潮の香りが懐かしい”から始まる。日本橋に木更津河岸を確保し港と供に発展してきた木更津にとっては東京湾の存在を無視して語ることが出来ない。道路網の発展までは浮力を利用した大量運搬である船運が主流であり、大消費地江戸を対岸に構えていた木更津は、炭や米や海産物など多くの消費財を供給する基地として栄えて来た歴史がある。
 
 海は物資を運ぶための浮力を与えるだけでなく、アサリやハマグリのような貝類、アナゴやキスのような魚類、他にもシャコやイカなど多くの食料を供給する場であり、さらに海苔の養殖技術が確立されてからは浜辺の集落は豊かな生活を送っていた。
 全国を見て回る中で木更津の漁師が他と少し違うと思うことは、東京湾の干潟を活用した計画的な漁業という一面農業と似た漁を営んでいることである。対局にあるのは遠洋漁業基地を抱える自治体であり、ひとたび海に出れば長いこと家に帰って来れないため、農業の従事は困難である。逆に東京湾の漁師は、毎日自宅に帰るから殆どが半農半漁のスタイルである。
 
 干潟という生産地で活動する木更津の漁師は、適切に稚貝を撒いたり干潟の清掃をしたりと、漁業環境を維持してきたし、潮干狩り場によって本市の観光客誘致を行い、都市の賑わいにも貢献してきた。しかし2007年から始まったカイヤドリウミグモの被害により木更津の名物であったアサリは生育が叶わない状況にであり、今まで海からの収入で生計を担ってきた人達やそれを統括する漁業組合は危機的な状況に追い込まれている。
 
 個人的には海で生計を立て無いため越権行為を避けようと、この問題は同僚議員で漁師でもある斉藤高根さんが当事者の立場で議会質問等を行っていることに心の中でエールを送っていたが、考え方を変えると木更津市の中でごく一部の意見であると孤立させたかも知れないと思っている。3月の会派代表者で滝口議員がクモの問題を取り上げ、議会広報誌によって市民に配布したから、市民は大きな問題だと認識してくれたかもしれない。
 
 生産物の金額ベースで考えれば、市内の中規模の工場より少ない値だと思うし、一方で漁業は航路浚渫や港の整備、その他多くの行為に補助金が入って成立している産業であることを考えると、都市部の住民にとって漁業は税収より公的支出が多い存在だと単純に思われ、存在意義を理解させる難しさにたどり着く。
 京葉コンビナートの進出により東京湾では多くの浜が失われ、それを埋め立てた土地では単位面積あたりで思うと漁業収入の数十倍から数千倍の生産を上げているだろう。木更津ではたまたま陸上自衛隊の飛行場に起因する航空法の影響で高度規制を受け、湾岸に工場の立地が叶わず、結果として漁業権を放棄せずに漁師が残っているだけかもしれない。
 それでも、海で生きている人達が数多く存在する街は、東京湾で生じている問題を気づく人が多く存在する街であり、環境に敏感な都市である。さらに干潟は海の浄化機関であり、ひたすら排出するだけの湾岸諸都市の尻拭いをしてあげている事を誇りに思うべきと考えているがどうだろうか。
 
 本日の夕方に江川漁業協同組合の総会が開かれ、父が組合員である私は代わりに出席したが、自然を相手にする産業の効率の悪さを目前にして、愕然としながら東京湾で漁業を営み続ける意義をこのように考えていた。効率だけでなく、目の前の海と向き合う人達が居ることは有り難いと思うべきでないだろうか。