福祉の陰を考える
2010/06/06記
 昨日(5日:土曜日)の夕方に、市内某所で計画されている無料低額宿泊施設に対する地元対策会議の中で昨年12月議会で質問した『生活保護と貧困ビジネス』について背景を説明する予定であったが、前日になって計画を取り下げるという事になり会議は開催されなかった。
 私も金曜日に資料作成などの準備を行っていたが、それが使われることが無く終わることの方が良い話なので、土曜日はのんびりと読書して過ごした。
 
 失業等により住居費が支払えなくなった者がホームレスやネットカフェ難民に成ることがないよう、網(セーフティネット)の一枚と無料低額宿泊施設が成立した。就職活動の中で『住所・連絡先』が未定の者に対しては雇用を控えることが一般的なので、貧困の連鎖を防ぐために一時的に駆け込む場所が必要だという理念は高く、当初は多くの良心的なNPOによって運営されていたと聞く。
 しかし、最近ではホームレスや就業意欲のない者を集め、彼らに支給される生活保護で運営するビジネススタイルが確立されて来た。入居者の中には経歴不明な者も多く、周辺では盗難や傷害等のトラブルの発生が懸念されるため、多くは望まれない施設であり、冒頭のように対策会議も行われるのである。
 無料低額宿泊施設を経営する側に取っては、行政から安定的に生活保護費が入ってくるので未収になるリスクは少ないし、入居させる者も通常のアパート等に入れなくなった理由がある者ばかりだから、粗末な施設でも高額の家賃や食費が請求でき利益率も高くなる。入居者が問題を生じるリスクを承知しながら高利益に群がる職業と言えば想像が付くであろう。
 
 当初の理念の通り、就職して安定的な収入を得てアパートを借りて出ていくまでの一時的な場所として低額で供給する場が公の側に有れば、このような問題も生じないのだが、失業が増大した時に合わせて空室を持ち続けるコストを考えると、やはり民間のNPOに期待することが多くなってしまうことは事実である。
 理念に忠実な団体は行政の保管組織として機能していただいているのであるから感謝するべきであるが、形態だけ似ていても利益に走る団体では、入居者は劣悪な環境に置かれ、行政は扶助費の支出増加や対応する人材の増加等が生じる等の問題を発生する。
 
 そもそも、利益に走る事が可能なのは、例えば住宅扶助費として、単身世帯では上限37,200円、複数世帯では48,400円が支給可能な制度があり、その金額は施設経営者と入居者の間で契約された額を基準にするから、6畳一間を仕切壁で2部屋に区分した3畳の部屋でも月37,200円の契約だと言われると行政では手が出しにくい制度にある。
 改善策は、第3者による査定制度を導入する事であり、劣悪な環境に対しては少額の扶助しか出せないようにする事だと思う。
 
 既に28年も前に成るが、大学に入学して直ぐに住んだのは4畳半一間の月6,000円の部屋であった。学部学生に移行して前橋から桐生に引っ越し、借りた部屋は8畳と4畳の二間と広い場所だったが日露戦争前の建築で、月に13,000円である。
 現在も我が家が貸している築40年を越えた古アパートは月額2万円以下であるし、何かと生活保護費は高いのではと思う。
 特に良く言われるのは、年金生活者より支給額が多くなると言う事態である。これは生活保護の問題だけでなく、年金制度の信頼すら失わせる結果になっている。
 
 生活費の高い都会でないと仕事が探しにくいという神話があるので都会を中心に制度設計をされているが、国家のコストを考えると生活費の安い地方に行かざるを得ない程度まで支給額を抑えるべきであるし、農村部では限界集落のように人間がいないという事が切実な問題にもなっている事を考えると、他の制度設計も有るのではと思うのだ。
 
 リーマンショクの頃にアメリカから理想の制度として賞賛された生活保護制度であるし、突然の病気や事故で日常を維持することが出来なくなる場合でも安心が出来る制度として存続させるべきだと私も思っているが、その高い理想の下にある陰に悩んでいる。