市民の帰属意識を考える
2010/06/18記
 昨年の夏には日本を変えることを期待して、多くの国民が民主党に投票し、政権交代が実施された。事業仕分けのように国民に注目を浴びた事業も何点かは有ったが、多くの政策では1年たった今でも混乱の途上にある。さらに、世界同時恐慌の影響も受けて税収が下がる中で戦後最大級の国債を発行することになり、プライマリーバランスは完全に破綻した事が明らかになった。そんな頃に追い打ちをかけるように、ギリシャで生じた財政破綻が巨大経済圏のユーロを揺るがす事態が対岸の火事だと思うことも出来ず、今回の参議院選挙では自民党も民主党も消費税を上げることを明確にした。新聞の世論調査では多くの国民もそれを認めているが、その内心は民主党に任せても駄目だったという諦め感も多いだろう。
 
 このような政治状況では、昨年夏の衆議院選挙の時のような盛り上がりが生じることもなく、世間はでワールドカップと『はやぶさ』が話題になることはあっても、政権選択のような話がされることは少ない。今回が参議院という事を割愛しても、静かすぎるように感じられ、このままでは3週間後になる7月11日の投票率は低い値に成りそうである。
 
 なお、消費税について値上げを行う場合は、国税とするのではなく地方税にして、そのかわり交付金を削減してもら方が地域の自立に繋がるように思っているが、今日の話題とは脱線するので別の機会にまとめたい。
 
 さて、本日(18日)、自民党木更津支部の臨時総会が行われ、その中で党員拡大も議題になったのであるが、現在の党員数は市民総数の1%に遙かに及ばない程度の数字であると知ると驚かされる。選挙の度に自民系の議員に投票していただく市民の殆どは自民党員でなく、さらには出来れば党員になりたくないと考えているのが実状だと思われる。
 原因の一つには年額4千円の党費負担が嫌だという事も有るだろうが、それ以上に特定政党に足場を固めたくないという事もあるだろう。かく言う私も自民党費を払いながら議員としては自民党所属という立場では無く無所属を表明している。もちろん自民党公認を申請する予定もない。
 
 アメリカの大統領選挙の際には新聞社もどちらの政策に共鳴するか立場を明確にしたり、国民一人一人が政党や候補者に寄付を行うなど、報道で知る限りでは日本とは大きな違いを感じている。
 アジアでも韓国や台湾では大きなうねりのように選挙が行われているのに対して、日本では60年安保以降では大きな政治の波を感じることは少ない。敢えて言えば「山が動いた」時の社会党躍進の時、細川内閣誕生の時、郵政選挙の時と昨年の総選挙であるが、市民の一人一人がプラカードを掲げカンパを集め電話作戦を繰り広げていたという事は聞いていない。多くは通常の生活を営む中で投票行為だけ意識を高めているのだと思った。
 
 考えてみると政治に対する参加意識や帰属意識が少ないだけでなく、多くの国民は日常的に宗教活動も行って無いばかりか人に問われれば「無宗教」と答えるし、企業の中でも労働組合の組織率は確実に低下していると聞く。ミクシーの会員には成っても町内会の活動に積極的に協力しようとしている市民も少ない状況を考えると、本市の学校支援ボランティアは奇跡のような出来事かも知れない。
 
 可能な限り世間とは関わりを持たないように過ごす社会は、天災発生時の対応力も弱くなるし、地域で子供を育てることも難しいし、祭の維持ややボランティア活動のための人材も枯渇するなど、良い社会では無いと思うのだ。
 もっと積極的に社会と関わりを持とう、という運動が今必要なのではないだろうか。もちろん、自民党や民主党という特定政治の為だけでなく、地域全体の民度を高めるために行うべきである。地域に関わり帰属意識が高まる中で、互いに政治を語り合う空気が出来れば、自ずから多方面の政治活動が生じることになり、深みが有って細部まで行き届いた政治が行えることになり、市民の幸せに繋がるだろう。少数で物事を考える世界より、決定までのプロセスは大変だろうが、結果はよりよくなる可能性が高いだろう。
 自民党支部総会の中で、そんなことを考えていた。