幻の国民を思う
2010/08/06記
 東京都足立区で男性の最高齢である111歳とされていた人が、実は30年以上も前に死亡しているのが発見されたと思ったら、女性の最高齢である113歳の杉並区方も20年以上前から行方不明になっていることが判明してしまった。
 これを契機に日本中で高齢者の確認を行ってみると、実は多くの方々が所在不明になっていることが報告されてきた。
 
 木更津市では百歳のお祝いを直接手渡すので、現在市内に居住している百歳以上の29名は、百歳になった時点で確実に生存されていることが確認されていると福祉部の確認を取った。因みに今年新たに百歳になる方は20名も居られるようで、長寿化は確実に進行している。
 
 東京で、こんな事態になってしまった原因を考えると、やはり都市化の中で近所や親戚の付き合いが薄くなっているところに、個人情報保護制度が定着してしまった事が考えられる。
 つまり生存しているか否かも個人情報で、秘匿されるべき事になってしまっているのだ。
 
 大阪で起きた育児放棄による幼児の死亡事件は、それがマンションで発生したから結果として発見されたが、仮に山奥に放置してしまい、子供は親戚が引き取ったと主張していれば義務教育の年齢になるまで発見されることもなく過ぎてしまっただろうと考えると、問題は高齢者だけではない。
 さらに失業等によってホームレス生活になってしまった者たちが身分証明も残さずに死亡しても、多くは行き倒れ扱いとなってしまい、身元が分からない以上は親族による葬儀や埋葬が行われることもなく、住民票や戸籍から抹消される事も無いと考えると、この国には多くの幻の国民が書類の中でだけ生存しているのでは無いかと思う。
 
 百歳を越える前の段階でも年金の不正受給が有り、最近の制度では子ども手当の受給なども考えると、死亡届を出さないことの方が有利と考える不埒な者が現れてしまう時代は、やはり制度上間違っていると思う。生存の確認まで個人情報の壁に隠れるのは正しくないと思うのだ。
 現実に市役所職員が全ての年金受給者や乳幼児の状況を把握する事は膨大な事務作業になり現実的ではないが、民生委員等の制度を活用して少しでも透明化するべきと思う。
 さらには5年に一度実施する国勢調査では、調査員に法的な権限を与え生存の状況を確認出来るようにする等の処置が必要になってきたのかも知れない(もっとも調査員のなり手が居なくなってしまう事や様々なトラブルの発生なども考えられるから容易ではない事は承知している)。
 
 親族の葬儀をしないことを何とも思わないような、間違った無宗教的国民性にも問題を感じるが、死亡したと扱われず紙の中だけで生きている多くの者たちに、政治は何をすればよいのだろうかと、今回のニュースを見ながら考えていた。