世界を一歩先に進める
2010/10/08記
 連日テレビではノーベル賞の話題が繰り返されている。最有力と言われていた京都大学でiPS細胞の作成者である山中教授は医学賞を逃したが、翌日に米パデュー大学の根岸特別教授と、北海道大学の鈴木名誉教授が化学賞を受賞するという明るい話題で盛り上がっているのは良いことである。これで村上春樹氏が文学賞でも取れば良いと思ったが、そこまでは無理だった。
 今回の化学賞は有機化合物の結合を促す技術に送られた。詳細は私に理解することは出来ないが、結果として薬品や液晶の製造に大きな威力を発揮し、世界を一歩先に進める事に大きく寄与していることは良く解る。
 
 明治初期に福沢諭吉が書いた『学問のすすめ』の中で、なぜ学ぶのかという事に対する答が、今まで先人が築いてきてくれた世の中をさらに先に進めるためであるという事が上げられている。この現代語訳本を読んで、今更のように感動したものである。
 今回のノーベル賞学者のように世界に大きく寄与する事は難しいが、それぞれの立ち位置で世の中を改革し、少しづつでも進歩させていかなければ、ここまで努力してきた先人に会わせる顔が無いという自覚が必要である。
 
 その前提で議会を考える。品格の高さや世の規範に成ることも重要な要素で有ろうが、そのために前例を重視すると伝統芸能のように成ってしまい、改革の力が失われては居ないだろうかと自問するのである。
 国内には栗山町のように議会改革を進めている事例もあるが、木更津がその後塵を拝するのではなく、世の先駆けになるような一歩を踏み出し、そのバトンをさらに先の世代に伝えて行かねばならないのであろう。
 ただ新しいものを創造するためには現況に精通していなければならない事も事実である。武道や華道のように歴史と伝統がある世界ではそのプロセスを「守・破・離」の言葉で表している。
 「守」は、師や流派の独自な教え、型、技を確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについて考え、良いもの、望んでいる方向へと発展する段階。「離」は、一つの流派から離れて、独自の新しいものを確立する段階。(日本国語大辞典による)。
 議会1期目は「守」の時としても次に進むときが求められているのではないだろうか!
 
 という様な会話をしながら、昨夜は遅くまで議論してしまった。その熱い思いは往々にして薄れていくものなので、忘れないためにもここに記すことにした。(10/13加筆有り)