海保の情報流出に思う | ||
2010/11/11記 | ||
連日テレビを賑わせている尖閣諸島における中国漁船の衝突映像について、中国の振る舞いや政府の対応など、書きたいことは山のようにあるのであるが、多くは様々なコメンテーターがそれぞれの立場で評論しているので、今回は情報流出という点に限って考えてみたい。 流出に至る経緯は現在も調査中であるが、断片的に入ってくる情報では海上保安庁内部で情報交換を行えるシステムになっており、遠く石垣島に行かなくても入手することが出来たようである。 今回出頭したものは43歳の海上保安官で、10人乗りの巡視艇では3番目の序列となる主任航海士という責任がある地位に居る者であった。個人的には世代も近いので、彼が大学を卒業する頃にはバブルが過激化しており、民間会社は新入社員確保のために様々な手段を講じている中で海上保安庁に勤めたという事を考えると、当時は海が好きで正義感がある青年だったと想像される。 世間で言われるように、命を懸けて不法漁船を拿捕した海上保安庁の努力も虚しく、中途半端と思われる政治決着で船長を釈放し、それが中国国内では英雄扱いされ、それでいて日中関係が好転することも無い状況を、第一線で働く者は大きな矛盾として考えていたであろう。 それに、今回流出した映像は明らかに中国漁船の悪質行動が見て取れる物であり、さらに海上保安庁の中で共有できる情報でありながら、政治の道具として秘密にする駆け引きが行われる違和感だって感じていたと想像できる。 データの捏造とか、贈収賄に関する情報など、法令や基準に違反する組織の情報というのは、公共の利益のために世間に公表するべきであるという立場は同意できる。だが今回の行為は『公共の利益』と言うことは出来まい。 自らの属している海上保安庁に対する批判が強くなることを意識していないので有れば組織として迷惑な話であるし、公務員が自分の判断で勝手に情報を流してしまったとしたら、様々な政策を戦略的に進めることが出来なくなる点まで想像できないようで有れば公職に就くべきではない。 ただ、考えなければならないことは、必ず情報は流出するという前提に立った危機管理を行わないと成らない時代であるという認識を持つことだ。今回は正規の職員による流出であるが、ネットハッカーによる流出や、庁舎内の嘱託やバイトによる持ち出しも、何かの油断で生じることが有ると思わねば成らないだろう。 阿久根市のように市長自らが自らのブログで職員の給与を公表させてしまうような場合は『流出』という言葉で表現するレベルでないが、通常秘密にしている事を公にするという点で一緒である。 次元はさらに違うが、私が市の公式発表に無いことを個人的な調査で入手し、それを公表する場合なども開示と流出の境界線上に来る場合だって考えられる。具体的な事例で示せば、例えば市が公表しないと言っている小学校別の統一テストの成績などがそれに当たるであろう(なお、私はその情報を知らない)。 情報漏洩に関する対策として最も有効なのは、出来る限り開示を行って秘密を無くすことである。その意味において今回の政府の対応は問題があると思える。 もちろん、漏洩すると戦場で不利になる軍事秘密や、個人の財産や健康に関する情報など、開示すべきでない事象は多い。それでも長者番付のように、個人情報の中でも公開することの効果が多い物まで全て秘密にしていく時流はどうかと思うのだ。この延長上には、既に亡くなっている高齢者の問題もあると思うのだ。 住民基本情報に脱税対策としての国民背番号制を統合し、さらにそこに医療情報や年金情報まで重ねていくことがシステム的には効果が高い。しかし個人情報が漏洩すると悪質商法に流用される可能性などのデメリットが生じることになるので反対は多い。個人的にはメリットの部分の大きさを考えると、デメリットを発生させない対策が重要ではないかと思うのだ。 ネット社会では必ず情報は漏れるものだと考えて危機管理を行うこと。情報を隠すことだけでなく、積極的な開示と、開示した場合のデメリット対策。今の時代に必要な事はそのような視点ではないかと連日の報道の中で考えていた。 |