桐生での児童自殺に思う | ||
2010/11/18記 | ||
群馬県桐生市立新里東小学校の6年女子児童が10月23日に自殺した問題が一月経とうとしている現在でも連日報道されている。イジメと思われる多くの現象がありながら自殺の原因にイジメが有ったことを認めようとしない桐生市教育委員会や学校の姿勢も問題視されているし、派遣や国際結婚の要因も重なり注目が続いているようだ。 桐生市は学生時代の3年間を送った懐かしい街ではあるが、この問題に対する報道以上の情報を持たない私は多くをコメントする立場ではない(正確には桐生市に新里村が合併するのは2005年であるから私が住民だった訳でもない)。ただ、彼女が一人で孤独に昼食を取る事を是正できなかった教師や、イジメを防止できなかった新里東小学校の生徒全員に十字架を背負わせるような展開は次の悲劇の原因に成るだけなので、今後は専門家に任せ、外野はもうそっとして置いてあげようよ、という気持ちになっている。 報道では学級崩壊が進み、先生の指導が行き届かなかったようである。家庭でしつけを済ませていない子供を送りながら、学校には体罰を禁じる親を前にして、子供達が野放しになることは想像に難くない。教師の中には平手で横から頭を殴り鼓膜を破ってしまうものなども居るから体罰にも注意が必要であるが、少なくとも常識を拾得する過程において、精神面も含めた後遺症が残らない程度の痛みを覚えさせることは必要だろうと思う。 学校に多くの足枷を行った中で教育を進めると、どうしても少人数教育が必要になってくる。だから少子化が進んでも比例するほどは教師は減っていない。教育予算の大幅増大が可能な経済状況ではないので、総枠を設けた中では教師の人件費も重要であるが、先端教育に掛ける研究費を増やさねば外貨を稼ぎ日本を牽引するような優秀な人材の確保が困難になると最近は思う。 たしかに世の中ではクラス当たりの生徒数が少なければ少ないほど生徒に目が行き届き良い教育が出来ると言われているが、40人を越える教室で、学年7クラスもある大規模な中学校を卒業してきた者としては少人数が最良とは思えない。 子供時代には個性差が大きいので、少人数教育が相応しい者も居れば、多くの子供の間で揉まれることで精神的に成長を遂げる者も居ると思う。そのような意味で木更津市学校適正規模等審議会が少人数校も選択肢として残す判断をしつつあるのは意味が深いと思う。 桐生の子供も転校を考えていたようだが、その前に悲劇が起きてしまった事は本当に残念である。子供にとっては学校が生活の殆どなのでそこでの否定は人生の否定のように思えてしまうのであろうが、学校以外の世界はもっと広いという事を知らせてあげたかったと思う。 今回の例が特殊で有ればよいが、日本全国に現在の学校から逃げたいと思っている子供は大勢居るだろう。一方、本市に置いては平成25年度の入学生が4名だけで存続が危惧される富岡小学校も有り、道路網の発達で東京から1時間圏内になった事もあり、ここが受け皿に成ることは出来ないだろうかと思う。 この先例としてはドラマ『瑠璃の島』で有名になった沖縄県石垣島に近い鳩間島が有る。ドラマはフィクションであるが、島に子供を呼んできたのは『子乞い』(森口豁著)としてノンフィクション作品にもなった実話である(実は『子乞い』は未読だが、それを原作にした漫画『光の島』(尾瀬あきら著)は鳩間島近くの黒島で雨宿りしながら読破した)。 全国の子供の避難場所を作りながら地域の学校を存続する。そんな政策を考えて行かねば成らない時代だと、ニュースを見ながら考えていた。 |