いわき市で支援活動する
2011/05/09記
 世間ではみどりの日から昨日まで10連休もあったと聞く今回のGWであるが、選挙の会計処理、地元区の総会等、様々な用事が入ったため佐原日帰りを行うことしかできなかった。やっと週末の日程が空いたので『日本が大変な時に選挙していた贖罪ツアー』として1泊2日で福島県いわき市を目指すことにした。
 
 いわき市を選んだのは、(社)かずさ青年会議所のまちづくり委員会で2003年6月23日に複数(5市4町5村)合併の先進市として視察に行き市役所に対応していただいた恩を返す、という事と同時に福島第一原子力発電所の風評被害でいわき市は人手不足に成っているという噂を聞いたためである。
 6日の夜に新会派の会合があったので深夜の移動が出来ず、7日の朝から常磐道を北上する事になった。日中の移動なので茨城で港湾被害の大きかった大津港、福島県側での小名浜港等の港湾設備の被災状況を確認したかったので北茨城ICで降りる。
 現地に行ってみると、先週見た飯岡港より明らかに解体や撤去などの対応が遅れている状況に今回の被災の大きさを実感すると同時に丈夫なはずの港湾構造物が壊されるような引き波の強さを改めて脅威に感じる。
 

▲破壊された大津港
▼小名浜港では船を撤去中
 
 震災からおよそ2ヶ月が経過しているのに手つかずの家屋も多く残っている一方で、津波被害を受けていない地域では田植えが行われるなど日常が営まれているギャップが大きい。一時期は原発が心配でいわき市に来る人が少なかったようだが、少なくとも市内は他の都市と違いが見受けられなかった。
 午後2時前に社会福祉協議会内に設けられたボランティアセンターに行き明日の活動のための登録手続きを済ませた後、いわき駅周辺のホテルを探しに行くと、復興作業関係者や被災者の宿泊で全体に混雑しており、木更津のホテル事情とは大違いである。
 予約を済ませてから国道6号線を北上すると久ノ浜周辺では津波被害が目につくし、広野町に入ると交通量も減りコンビニがあっても空いている店舗がない。30km圏が見殺しにされているという状況を確認したら仕事を終えた工事関係車両とともにいわきのホテルにに引き返す。
 日没後に駅前の居酒屋に入るが、メニューには『近海の魚介類の漁が一切ありません。したがって地魚の扱いも残念ながらありません』とか、浪江町の鈴木酒造と南相馬市の凍みもちの欄には『この度の震災で操業できなくなりました。在庫分で終了です。誠に残念です。』と書かれているのを読むと切なくなりながら地酒を飲むのであった。
 
 日曜日は朝から快晴で絶好の活動日和である。いわき市災害支援ボランティアセンターには9時からの受付開始前に多くの人が集まっている。地元の人に聞くと5月3日から5日の連休には連日千人近い人が来て会場に入るのに2時間待ちだったが、それでも今日は少ないと言うことであった。8割以上が男性で、やはり若者が多い中で定年退職後と思われる人の姿も目につく。
 私は車で来ているから車を提供するつもりだったが却って呼び出しが遅れた。ブロック塀の撤去に建設工事経験者を求められたときに応募者が足りない状況が訪れ車の提供を辞めてそちらに参加することにした。状況の説明を受け、外で必要資材を借用して地元の人の車で現場に向かった。

▲作業内容の説明
▼使用資材の貸し出し
 
 午前中は平の街中に住む高齢者独居住宅のブロック塀が道路に倒壊しておよそ2ヶ月ほど放置されているものを撤去するというものでそれぞれ単独参加の男5人で向かった。私以外の内訳は地元2人と東京・栃木からの参加者であった。多くの人が県外から来てくれるので夜の勤務を終えても可能な限り毎日ボランティアに出ているという青年に率いられて作業を開始する。なお、被災者の感情に配慮して写真は撮影していない。
 通行出きるとはいえ道路上の支障物を2ヶ月も撤去する手が回せないほど多忙な市役所に同情しながら、ハンマーやスコップを動かし約2時間で作業は終了した。ボランティアセンターに戻り前日にコンビニで購入しておいた昼飯を取り、午後からの需要を待つと海岸沿いの家屋清掃の話があり、メンバーを組み替えて向かう。年齢のためか、作業班のリーダーに選ばれてしまった。
 先ほどと異なり海岸沿いは津波で大規模に破壊されており、その中で比較的被災が少なかった工場の清掃作業であり、既に当該場所での活動も10日を越えているのに土嚢袋で数十にも成る砂を撤去せねばならない被害の大きさを改めて実感する。
 作業する事は多かったのであるが、ボランティアセンターには午後4時に帰るという行程のため、午後3時半過ぎに終了して帰路に着き、センターで資材の返却や作業内容の報告をして解散となった。やるべき事はまだまだ有るのに、連休が終わる明日以降の人手が少なくなることに申し訳なく思いつつ私も帰路に着いた。
 
 前夜は福島県の経済支援をしたので、この日は帰り道に北茨城で土産を購入してから日帰り温泉に浸かり、交通量の少ない常磐道で夜9時前に帰宅した。大ハンマーを振り回しすぎたのか若干筋肉痛でもあり、早めに床についた。
 一緒に活動した地元の人が、遠いところを来ていただき有り難うございましたと言っていたことを思い出し、また行かねばと思いながら眠りにつくのであった。