北国で観光案内を考える
2011/08/27記
 「最近思う事」を少し休んでいたと思ったら、3週間も更新が滞っていた。何時も読んで頂いている皆様には申し訳ないと陳謝するしかない状況である。
 この間に『金田バスターミナルについて』(8/18)という質問メールも頂きながら、議会質問書の作成に集中していたことと、暑い昼間にはパソコンに向かいたくなかったことと、さらに15日〜19日まで北海道に行っていた仕事の付けが溜まって、トップ頁と活動記録の更新のみに成っていたのである。しかし、質問通告も終わり、気温も涼しくなったので、そろそろ再開せねば成らないと土曜日の昼間に記載を始める。
 
 金田の質問については申し訳ないが次回に送り、今回は記載が遅れた原因でもある北海道で感じてきたことを記載したい。
 旅の目的は登山であったが、初日から雨のため、当初の計画に無い、思いつきの観光をすることになってしまった。北海道には何回も足を運んでいるので千歳から札幌や小樽等に向かう気もなく、今夜は富良野に有る芦別岳登山口に向かうだけだからと、その途上にある人口最小都市歌志内市、夕張の次に財政破綻が噂されていた赤平市、観光施設が失敗した芦別市等を回ることにした。
 
 歌志内市は炭坑が最盛期の頃には5万人近い人口を擁していたが現在では5千人を下回っている。隣の上砂川町と供に砂川市に統合すればと個人的には思うが、独立の道を選びスイスのチロル地方をテーマにしたまちづくりを進めているようだ。
 写真は「東光地区改良住宅」という公営住宅で、デザインの一部がチロル風に見えないこともない。他にも立派な公営住宅が多くあり、本市の市営住宅に比べて際立つ立派さに、財政の良い方の自治体が貧相な住宅環境にある矛盾を感じた。
 赤平市は住友の街という空気が漂い、予想外に寂れた感じも少なく、整理された街であった。昼飯に名物の「ガタタン」でも食べようと思ったら、それは芦別市ですと言われ、直ぐに街を後にした。
 
 芦別市は「カナディアンワールド」「北の京」等、かつては観光事業に力を入れていたハズなので、根室本線の芦別駅に行けば観光案内所があるかと思って向かったが、駅前看板のみで何の情報もない。交番で国道にある道の駅には観光情報があるだろうと言われ、行ってみるとお盆休みの最中のためか「道の駅」だけは混雑しており、食堂も20分待ちに成っていた。観光案内は机1つの前に男性が座っているだけだったがガタタンとカナディアンワールドの情報を入手した。
 私はレンタカーだったから移動も容易であったが、周遊券等で旅行する人には寂しすぎる駅前であるし、カナディアンワールドまで車で20分は掛かるので歩いて行ける距離でもない。失敗が予見できなかったのかと思いながら破綻の跡を見に行く。
 
 無料の園内には車で入ることが出来て、それなりに変わった風景を楽しむことが出来る場所なのに悪天候のためか、それとも営業店舗が無いためか、観光客は20名も居なかったようだ。それでも園内のミニ鉄道は運行しているし、各所の公衆便所は綺麗に維持されており現在も続くであろう自治体負担に思いを馳せる。
 
 午後5時を回って富良野駅に到着して、宿の検討のため駅に併設されている観光案内所に行くと、リアルタイムに市内の宿からFAXで空室状況を送って貰うことで状況把握をしているだけでなく、宿を決めるとその場で案内所から確認の電話連絡を入れてくれるなど、流石に洗礼された観光都市の対応に脱帽した。
 なお翌日の夕方に到着した室蘭市観光協会は旧室蘭駅舎という文化財の中に有るが、現在の駅からは1.1km離れアクセスは悪い。そのため観光客の訪れも希であるのか、執務室に5名も居ながら頼りない窓口対応しか出来ず、空室把握も出来ていなかった。
 その翌日に立ち寄った夕張市観光案内所は小さな駅舎の中に窓口を設けていたが16:30で閉まってしまい、無人状況になったときに市内観光のパンフレットも置いて無く、あまりの情報不足のため宿泊を取りやめて夕張を後にした経緯がある。
 
 夕張から千歳に出ると観光案内所等は無くても駅前に市内案内看板があり、その情報を元に夜遅く宿を確保する事が出来た。その状況で、ふと木更津の観光案内所を考えると、窓口は通常でも午後5時に閉まってしまい、港まつりの時にも午後6時には本部に異動するので、祭りの後に泊まろうとする観光客に対応することが出来ていないことに気が付いた。
 最近は携帯電話からでも情報を入手できるので、夜に多くの需要があるわけでなく、窓口を開けているだけの人件費が勿体ないという観点も解るし、私のように何か有れば直ぐに駅に行きたがる旅行者は多くないと思う。
 それでももてなしの姿勢を示すため、例えば観光パンフレットを駅前の商店やJRの改札でも配布する事などは考えねば成らないだろう。そんな事を北の空の下で考えていた。