技術と発明を考える
2011/10/02記
 昨日は月の始めのファーストディで映画を1000円で鑑賞できる日であるため、午後から蘇我まで行って『はやぶさ』を見てきた。小惑星イトカワからサンプルを採取し7年の旅を経て地球に帰還した奇跡の探査衛星の話であり、幻冬舎新書で同名の作品(吉田武著)を読んでいる私にとっては新鮮な情報は殆ど無いにも関わらず、描き込みの上手さに感動して帰ってきた。
 単に損傷した衛星を何とかコントロールして地球に返すだけのストーリーでなく、プロジェクトを進める中での予算確保や地元調整、マスコミ対応などが細かく描かれ、エンジン設計・軌道計算・通信・撮影など各持ち場のそれぞれがプロとして活躍する集団の力を映像として見せられると、『歌の力』や『スポーツの力』だけでなく、科学者や技術者もその成果の力で感動を人に伝えることが出来るのだと、泡沫の技術者である私も嬉しくなるのである。
 理科系の成果だけでなく、政治は本質的にもっと多くの感動を与えることが出来るし、それは時として今回の中東のように革命に繋がることが有る。そこまで劇的でなくても、例えばケネディ大統領就任演説で「国家があなたのために何をするかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問いたまえ」というフレーズはアメリカ国民を鼓舞するのに充分な言葉であったと思う。
 映画の中でも1985年の東大の研究室で「出来ない事を言うのではなく、どうやったら出来るのかを考えよう」という台詞があり、その姿勢がなければ、あの奇跡の生還も成し遂げられなかったのだと思う。その言葉は現在の自分や周辺にも共通して通じており、自分は出来ないことを並べていないだろうか、知恵を絞って考えているだろうか、と考えさせられた。
 
 知恵を絞るといえば、発明的な思考方法である。それに関して、先月の26日には安藤百福発明記念館(通称カップヌードルミュージアム)を見に行った。私はインスタントラーメンの発明は国民栄誉賞に匹敵すると個人的に思っていたのであるが、既にこの世を去られた安藤氏にその栄誉が届くことはなかった。同様に手塚治虫氏にも与えられなかった事が納得できないのであるが、その話は脱線するので安藤百福氏に話を戻す。
 あのチキンラーメンから始まりカップヌードルで花開く発明は、どの様に生まれたかを伝えるものが横浜にある記念館で、そこには創造的思考を生み出す6個のキーワードが示されていた。
 @まだ無いものを見つける
 Aなんでもヒントにする
 Bアイディアを育てる
 Cタテ・ヨコ・ナナメから見る
 D常識にとらわれない
 Eあきらめない
 安藤百福氏がチキンラーメンを世に出したのは48歳の時で、カップヌードルは61歳に成っている。柔軟な思考は若さの産物ではなく、努力の結果であるという事を展示の中に見つけていた。
 
 世の中には解決しなければならない数多くの出来事があり、その一部は市議会議員である我々に話が届けられたり、市役所に直接苦情の形で届くことになる。それらが何故出来ないのかと説明することに精通していくのではなく、どうすれば出来るようになるのかという事を、前例や常識にとらわれず多方面から検討しなければならないのである。それが出来なければ、JAXSの『はやぶさ』のような素晴らしいプロジェクトに一方的に感動を与えて貰うだけで、こちらは誰にも感動を伝えることがない人生となる。彼らとの能力差は如何ともし難いが、努力でも大きな差を生じることは避けたいと思うのである。
 
 先月の20日の記事としてアップした「自然の猛威に畏れる」を手違いで抹消してしまった。26日の記事を上書きしてしまい、それを気づかないままサーバーにも転送してしまったのでパソコンとサーバーの双方でデータを失ってしまったのである。
 その中で東日本大震災や相次ぐ台風という自然の猛威の前には人間の力などたかが知れていると畏れながら、被害を最低に抑えるような運用を考えることとか、それでも技術を磨いて行くべきだとか書いた記憶がある。今回の記事はそれに対する一つの回答で、ともかく諦めずに高みを目指し続ける事が重要であり、様々な組み合わせを総合的に考えようという記事でもある。例えば釜石の奇跡といわれる避難行動を提起したのも工学部の教授であるように、技術的な視点を持ち合わせるものが技術に頼らない対策を考えるように、柔軟な考えを持って、その対策で人々に安心と感動を与えるべきであろう。そんな事を考えていた。