千代嵐後援会が発足する | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011/10/31記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
行政視察に旅立つ少し前、某大先輩より10月29日の土曜日の夜に宝屋に集合という指令がかかり、今一つ全容が見えないまま駆けつけると、その場で「千代嵐後援会」の発足に向けた会議が開催されることになった。 今年7月の名古屋場所で新十両に昇進し、9月の秋場所でも勝ち越した千代嵐(本名・渡辺慶喜)関の後援会については、8月末に近隣市を含む各界から下記19人の発起人(敬称略)によって後援会の設立が呼びかけられていた。 |
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私は8月の段階で後援会が発足したものと思っていたが、それは準備会という位置づけであり、実際に動けるための組織を作るための会議と言うことで打合せが始まった。 発起人の中からは渡辺県議、平井会長、秋元会頭、綱島会長、加藤理事と渡辺武男さんと渡辺敏夫さん(夫婦)が参加しているだけであったが、今回の後援会の運営に当たっては、千代嵐関が『わんぱく相撲』出身者という事も有って、当時係わった歴代理事長が副会長を行うことが良かろう、という大先輩の鶴の一声によって組織化が進められた。 『わんぱく相撲』とは青少年の健全育成を目指し、社団法人東京青年会議所が1985年から開催したもので、財団法人日本相撲協会との主催によって開催されている。小学4年生から6年生が参加し、日本国内の地区予選大会から勝ち上がった者が東京両国国技館で決勝大会をするという、小学生対象で最大規模の相撲大会のことである。かずさ青年会議所も木更津・君津・富津・袖ケ浦の四市の小学生を対象に1993年に第1回かずさ場所(予選大会)を開催して参加して来たが、2006年に行われた第14回かずさ場所を最後に、その後は行われていない。 平成19年3月に初場所を迎えた千代嵐関は、まだ若干20歳であり、今から10年前の頃の大会に参加し、地区大会で優勝して国技館に進んだのである。因みに写真は2001年のものであるが取組は千代嵐関では無いと思う。 従って、その頃の青年会議所の理事長経験者は、今回の後援会の運営に責任を持ち、渡辺芳邦会長を補佐するという事で副会長を行うという事になり、父親である渡辺敏夫が会の世話人を行う以上、それを補佐するのは近隣に住む者の責務だという考えによって重城市議と私、それに近くで仕事を営んでいる平野氏と大里氏が世話人として会に加わることになった。そんな事によって決まった会の執行体制(暫定)は下記の通りである(敬称略)。 |
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上記に名前のない発起人や近隣四市の市長や教育長、県議会議員や各界の名士には顧問や参与をお願いするという方針が決まり、地域を上げて千代嵐関を盛り立てて行こうという事になった。取り急ぎの目標としては、来年1月の春場所から千代嵐関が身につける化粧まわしや浴衣等の作成費用を集めるために会員の拡大を行おうと言うことになった。なお、化粧まわしも高い物から安い物まで色々あり、安い物で揃えても3百万円程度が必要という事であり、今までに集まっている金額では半分にも達していない、という事で、これから広く入会者を募ることになった。 早速、昨日まで開催されていた文化祭で地域の方々にお話をしたところ、高柳小・岩中卒業という岩根地区から誕生した関取は地域で支えたいという申し出があり、瞬く間に20名の入会者が加わった。その場で聞かれたのは、どの様な化粧まわしを考えているのか、という事で有った。実は29日の会議で、渡辺敏夫さんが書道家の川口馬林先生と親戚であり、既に図案を考えてある事を披露されていたのだが、その場に資料を持ち合わせていなかったので今回のHPで公表することにする。 『嵐』の『虫』の部分に木更津の象徴である狸が入る、実に味の深いデザインである。この化粧まわしを造るために協力していただける方々は、私か、渡辺芳邦会長の事務所(23-4492)、又は渡辺世話人の店(やぶそば:41-2604)にご連絡をお願いします。 |