選挙後の7ヶ月を思う
2011/11/26記
 統一地方選挙が終わりおよそ7ヶ月が過ぎてはいるが、今夜は忘年会という席で改めて地域の方々に感謝を行うと供に、当選後の簡単な状況報告や地域で関心の高い巌根駅の改修や江川運動公園の現状について挨拶の中で話をさせていただいた。
 その中で、選挙を終えてから議会内で起きた変化を話しつつ思ったことは、単なる再選ではなく構造を変えていく日々がこの7ヶ月に有ったのだということである。
 
 木更津市議会の定数の1/4を占める最大会派の一つを設け、副議長を輩出するという事だけでも議会経験が少ない会派羅針盤にとっては荒海に船を漕ぎ出すような不安があった物であるが、その後に会派代表者会議・議会運営委員会等の本来で有れば経験豊かな議員が携わる部分に望む日々というのは、それまでの4年間では味わえなかった新鮮な驚きに満ちていた。
 さらに副議長に就任した齊藤議員が議長の替わりに多くの会議に出席して得てくる情報を、出来る限り会派に流そうとする事で得る事柄も多く、今日の忘年会で行う挨拶を考えるために7ヶ月を振り返ると、大変なことも多かったが、会派分離して得た物も多かったことを改めて考えていたのである。
 
 改選前のフォーラム未来は議長排出会派として情報が多く、過去の歴史を聞くことで議会の成り立ちを教えていただいていた事は現在の自分の知識になっているし、それを今の羅針盤の1期生に何処まで伝えることが出来るかが、我々2期生の責務であると思っているのであるが、場合によっては研修として出張させることも検討するなど、会派も垣根を低くして考えることが議員一人一人の資質を高めることになり、ひいては市民の為になるのかな、と思っている。
 しかし、フォーラム未来の時には、我々が1期生で情報を咀嚼する能力が低かったためかも知れないが、議長会や基地協等の細かい情報を得ることが出来なかったし、各常任委員会や特別委員会の議案を交換する空気を造ることもできなかった。
 今の会派羅針盤では過去の経緯を伝えることは未熟であるが、現在決められようとしている多くの情報を出来る限り共有しようとしている。その根幹にあるのは同期当選の組織である『十九の会』でも同様であるが、次の選挙で競争相手になることが前提であっても、資質の高い者を造らねば、何時までも行政運営を照査できる市民代表を持つことが出来ない市民に不利益を与えると思ってのことである。
 その先に目指すべき事として個人的に思うことは、議案に対して異論を唱え、政党等の上からの意見によることなく、現状に根ざした正論の元に秩序有る反対論旨を唱える事が異端と思われない文化、つまり反対意見が違和感無く発言できる空気を議会に持ち込むことだと考えているのであるが、欧米社会では普通である議論を「和を持って尊しとなす」日本の社会に受け入れさせるのには時間が掛かりそうだと最近は思っている。
 
 先日行われた議会運営員会でも事務局や正副議長が決めた事案を変更することを求めた私の意見(同意者少数で否決)に対し、意見を述べた行為そのものを異とする声も有るようだし、それで悩みを抱えることになった人もいると聞く。しかし、そのような決まったことに異論を挟めない構図の延長線上に、オリンパスの不正経理に監査が機能しなかったような日本の風土を見るというと考えすぎであろうか。
 ともあれ、色々これからも言われ続けるであろうが、異論反論を堂々と述べてくれと、今日の忘年会で言われてもいるので、波風をあまり立てないように、それでも世の中を一歩先に進めることを目指して発言を続けなければ成らないのだろうと、岩根の寿司屋で思ったことを、若干酔いが残ったまま記載させていただいた。