相対リスクを考える | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011/12/16記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今日で東日本大震災発生から280日が経過した。本日の朝刊を読むと内閣府の有識者会議が昨日中に、年間20[mSv]の放射線量を避難区域の設定基準としたことの妥当性を認める報告書をまとめた事が記載されていた。つまり、有識者会議では低レベルの境界線を20[mSv]に設定し、それ以下で有れば避難させる優位性を見いだせないと考えたのである。 12月定例会でも複数の議員が放射能物質及び放射線の影響について質疑を行っていたが、その中で我が会派の永原議員が、危険性が極めて低い数値の土砂を、行き場もないのに動かして遮蔽効果の無いブルーシートで覆う位なら、そのコストを例えば交通安全対策などの課題に充てるべきだ、という視点で質疑を行ったことが出色であった。 市民の感情に答えるためで有れば、少しでも高い場所を改善するという姿勢を示すことは重要であるが、それは原子力発電所にヘリコプターで放水を行ったことと同じように、象徴的では有るが、効果の点では意味が少ない行為であると私も思っている。 低レベル放射線の恐怖は、身体的には発ガン性を高めることにある。日常生活を営んでいるときの発ガン率を1.0としたときに、それぞれの状況下に有る場合の発ガン率の向上がどの程度に成るのか、国立がんセンターが本年5月に発表した数値を元に私が整理したものが下表である。 |
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この根拠となるのは、広島・長崎の原爆被ばく者の追跡調査やチェルノブイリ原発事故のデータ、日本の40〜69歳の地域住民の追跡調査したデータ等と記載されている。甲状腺の発ガン率は低い放射線量でも高く、さらに甲状腺の発達段階にある低年齢への影響が大きいので、全部位では相対リスクの検出が不可能とされる100[mSv]ではなく、20[mSv]とした事は当然であり、さらに低い値とするべきだという異論も一部では出ているようだ。 率が少ないとはいえ、小児麻痺の生ワクチンのように明確な代替えが有る場合は切り替えを進めるべきであるが、僅かなリスクを回避する為に現実的でない数値を設定し、福島県民の半数以上を移住させるより、タバコの料金を高くして受動喫煙被害を少なくする方が発ガン率低下のためには良いであろう。 発ガンについては知人の医者が『全ての人類は発ガンするが、ガンで亡くなる前に他の病気で死ぬか、老衰してしまうだけだ』と教えてくれた。それを聞いて悲観するのではなく、あるがままに受け取るという、達観の境地になることが重要だと悟った。 しかし、今回の記載に当たり資料を整理する中で、大量飲酒や肥満の相対リスクの高さに改めて驚き、達観するより私の生活改善が必要だと、放射能の話だか何だか解らないまま、余分な心配を抱えることになってしまった。 |