北朝鮮の変化を願う
2011/12/24記
 北朝鮮で金総書記が17日午前8時半に死亡したという報道が流れて5日間が経過したが、現在の所大きな混乱は生じていないようだ。2011年は国内的には東日本大震災の年であるが、国際的には「アラブの春」といわれる中東での独裁政権から民主化への流れが象徴的な年であったのに、極東の封鎖的な国には情報すら届いていないのだろうか。
 
 中国では毛沢東の死去によって改革開放の流れが始まったように、北朝鮮も現在の中国程度に開放的な国家となる事を願っている。その結果、軍事的な緊張とか麻薬の違法製造などのリスクを回避できるようになるだろうし、遅れている社会資本の整備に日本も拠出金を求められるであろうが、それが特需になって停滞している景気を向上させる事もあるだろう。
 
 思えば、今から70年前の12月8日に太平洋戦争が発生したように、あまり遠くない過去では帝国主義のブロック化の争いが生じていた。当時は海外経験があるものは少なく情報が無かったことと、アジアの多くの国家が欧米の植民地になっていたことから、米国を敵と見なすことに抵抗はなかったのだろう。
 
 しかし、第二次大戦直後にアジアの植民地の多くが独立を果たし、その後に南アメリカやアフリカ諸国が続いて独立した。日本は激しく戦い、原爆も落とされた米国と協調することで経済発展を続け、中国に抜かれるまで世界第2位の経済大国として世界との結びつきは強くなっていった。その流れにより、特に東南アジアでは日本からの資本移転で貧困から脱却している事は、欧米から放置されたアフリカ諸国と大きな違いであると思っている。
 
 そして今から20年前の12月25日にソ連が崩壊したことで世界は極めて多くの主権国家によって成立するものと成っていった。中国もチベットやウイグルなどは旧ソ連と同様に独立させれば良いのにと思うが、それらの主権回復はまだ遠そうである。
 国家の数が増えていく一方でEUによる大きな実験が進められ、人や資本移動の自由さが増えるだけでなく通貨統一という手段により為替という壁もなくなっているエリアも発生した。今年のギリシャ危機のようにデメリットも目立つが、国家の垣根を上げる方向に向かうことはないだろう。
 
 アジアにおいても、台湾や韓国とはビザ無しで相互に移動が可能となっているし、中国に対しても垣根を下げる方向で政府は検討を進めているようだ。経済の程度や各国の宗教感等に差が大きいアジアでは欧州のようには進まないだろうが、国家の壁が薄くなっていく方向は同じである。
 
 既にインターネットの世界では国境を意識することが少ないが、物の移動の自由化の流れとしてTPPのように関税だけでない非関税障壁も撤廃しようと言う動きが出てきているのだろう。
 農業の崩壊による農村の疲弊が劇的に進んだり、安全基準等の生活に直結することまで「非関税障壁」とされるようで有れば大きな問題であるが、今後も様々な形で国家の垣根が取り払われる事に成るのだろう。
 
 北朝鮮もその様な世界の流れに背を向けるのではなく、改革解放に向かうことで、餓えている国民を救うことが可能となるであろう。拉致された日本人や帰国事業の結果で悲惨な目に遭っている元在日の方々にも一刻も早く自由を与えたいとも願うのである。
 個人的にも虚栄心を満たすために造られたような平壌のモニュメントや疲弊した山河を自由に見て回りたいという願いもあり、今回の死去の情報が世界に与えられた大きなクリスマスプレゼントに成ることを願っているのである。