成人式会場前で思う | ||
2012/01/08記 | ||
本日は朝から消防出初め式が行われ、その後に市民会館小ホールで行われた祝賀式にも参加して正午前に帰路についたが、同日の昼から大ホールで成人式が開催されるため、市民会館前には大勢の新成人が溢れていた。 女性の多くは華やかな振り袖で、男性はスーツが多かった。今年の新成人は戦後最低人数と聞いていたが『少数で静かな式』には成らないと予想されるように、外で日本酒の一升瓶をラッパ飲みしている若者が何名か居た。周囲の者に迷惑を掛けない事が出来るかなと危惧しながらその場を通り過ぎた。 成人式といえば、毎年那覇市を始めとした多くの都市で荒れた式典がニュースとして流される。景気の良い頃は「日本」という大きな船に守られ、我が儘で幼稚に育っていると思っていた。 しかし、物心ついたときには阪神大震災の映像を見せつけられ、バブル後の先が見えない不景気で育ち、昨年の東日本大震災を経験した世代であっても、やはり幼稚な行動に出てしまうようでは環境か教育の問題であり、日本社会の浮上は難しいのかも知れないと一縷の不安を覚えてしまう。 それでも被災地の若者が見せた秩序と自制、さらに互助の姿勢を覚えているので、騒いだ所でそれは一部に過ぎず、これから歯を食いしばり円高と労働人口減少による不景気なこの国で頑張っていく若者も多いのだろうと励ましたいし、一足先を生きた世代としてこの様な時代にしたことを申し訳なく思う。 成人式という、人生で一度だけ楽しめる場を終えた明日から見る現実の中に「希望や夢」を我々の世代が造り得ていないので有れば、それが用意されることを待つのではなく、自ら切り開く力強さがこの世代に有ることを願うばかりである。 木更津では学年毎に成人式が行われるので、この新成人が生まれたのは平成3年(1991年)4月から平成4年(1992年)3月の事である。国内では自民党の政権が続く中で海部内閣が宮沢内閣に替わり、国際的にはユーゴスラビアの解体が進む中で韓国と北朝鮮が国連に加盟し、スポーツ界ではロッテオリオンズが千葉に移る直前で川崎球場の最終年を送っていた頃だ。十年一昔とは良く言ったもので、確かに二昔ぐらい過去の記憶である。 但し、木更津市の1992年3月1日現在の人口は12万4953人なので、現在と比較しても5%程度少ないだけで大きな変化は無く、良いか悪いかは解らないが、この点の安定度は抜群である。 その頃私は何をしていただろうと振り返ると、日本道路公団を退職して木更津に帰って1年が経過した頃で、三井建設の下請けとして富津で藤倉電線の社宅の建築工事をしていた。その頃は、まだ海外旅行の経験はおろか沖縄にも足を踏み入れたことが無く、当時の3254市町村のうち27.6%は未踏破であり、現在187座まで登っている日本二百名山も、その年度末では23座しか登って無い状況だった。しかも、その23座目となる3月28日に登った武尊岳は初のスキー登山であった。 その頃に世帯を持ち、子を授かっていたら、その後の多くの旅もなく、今日は子どもの送迎などをしていたのだろうし、場合によっては議員に成っていないだけではなく、木更津にも居なかったかも知れないなと考えると、人生には多くの分岐点があったんだ、としみじみと思いながら本日の成人式を振り返ってみた。 |