南相馬で考える
2012/01/16記
 17日から行政視察で関西に行くということが決まっているのにも係わらず『週末に南相馬へボランティアに行くけど参加する?』という友人のお誘いを受け14日から15日の1泊2日で南相馬に旅をしてきた。私にとって、南相馬市は震災後に足を踏み入れていなかった最後の被災都市(町村は除く)である。
 
 出発前夜の13日に岩根区長会の新年会があって、私はアルコールが入って運転の交代ができないことと、15日の夜には参列せねばならない通夜があるので夕方4時頃には木更津に帰りたいという私の我が儘を聞き入れてくれた友人は、昨年中に南相馬市に3回ほど入り、ボランティア後には毎回同じ店に飲みに行き、ボトルキープをしているという強者である。
 深夜1時に私を含んだ5人で出発し、私は車の後部座席で仮眠をしながらも、車は雪の東北道を北上し、福島西ICを降り相馬市を経由して南相馬市の原町地区には午前7時前に到着した。
 朝8時に開店する、友人が常連となっている弁当屋で昼食を購入してから向かったボランティアセンターは社会福祉協議会ではなく、児童館の建物を使用していた。そこで前日から作業をしているという若者一人が加わり、資材やマスクを借りて現場に向かった。
 
 場所に案内してくれたセンターのスタッフは、砂利道をライトバンで追いつけない速度で飛ばし、現地に着くと氷点下の風が吹きすさぶ中で、どの様な災害が起きたか長い説明を行い、さらに黙祷を促して話は続いていたが、我らの同行者が『寒いので早く作業しましょう』という声で話を中断して作業内容の説明に入った。
 仕事は墓地の前の畑の整地で、津波で流された瓦や墓石というガラを除去しつつ、積もっている砂を大型土嚢袋に詰めるという内容であった。なお、墓地や墓石は写真に撮らないでくれとスタッフに言われたので現場での写真撮影は行っていない。
 センターのスタッフは他の住宅解体現場などの手伝いも行っているようで、説明後には現場を後にしたが、時々防寒着などを差入れに来てくれた。ちなみに現場は海が見える所で、遮蔽物は近隣になく、風が吹き抜ける場所であり、防寒対策で写真のような服装となっていた。
 
 重機が有れば楽な作業だけど人力は辛いなと小言を言いながらも、午後3時近くまでに持ち込んだ大型土嚢袋10個(通常の土嚢袋なら2百個分程度)に土砂を入れ終わり、表面の整地をしている頃、スタッフが現場に訪れ『土嚢袋の場所が違うから移動せよ』と指示する。当方はユニックでの搬出を前提に道に面した場所に設置したのだが、もっと奥に置きたいという。1個の重量は数百kgも有って人力で動かせないですよ、と答えると朝のうちに場所を話したでしょうと主張する(が誰も聞いている者は居ない)。風で聞こえなかったのかも知れないと言い訳しながら、動かせないなら中身を出して軽くして動かし入れ直せばよいと言い始める。
 既に午後3時を回っており通常のボランティア作業時間が終わり間近なのに、そんな仕事を日没前に終えられるはずもなく、そもそも指示の理由が理解できない。何より、途中で防寒着などを持って来た時には何も言わず、最後に『やりなおし』と言っているような態度に不快を感じた友人は、今日は終了、と宣言した。
 
 センターに借用していた物を返しに行った時、そのスタッフは言葉では『気を付けてお帰り下さい』と言いながらも感謝が伝わって来ないどころかさっさと帰れという雰囲気である。当方も感謝されたくてボランティアに行っている訳ではないのであるが、このような姿勢では二度と南相馬には来ない、という気持ちにさせるだろうな、と思わせる彼の人格を残念に思った。
 
 思えば、木更津市でも多くの市民ボランティアに協力して貰い、様々な行事を営んでいる。中には市役所職員に無理難題を言うモンスター市民も居て、職員が不愉快に思うこともあるだろうけど、その逆に職員によって木更津市や市役所の印象を悪くしていることはないだろうかと、人の行為を見ながら考えていた。
 なお、ボランティアセンターは職員によって運営されているわけではないので、そのスタッフもボランティアである可能性も否定できない。震災から10ヶ月が経って、感覚が麻痺してボランティアは来て当然、働いて当然と思っているのかも知れない。決して南相馬市が悪いわけではないと思う。
 友人にとっても過去の活動拠点では拾得物の洗浄作業しかないという事で、瓦礫撤去作業が有る今回のセンターでの活動を選んで申し込んだいう事で、過去3回はこのような不快を味わった事がないという話である。
 
 作業で冷えた身体を日帰り施設である新田川温泉で暖め、ホテルに荷物を降ろしたら、ボトルをキープしてあるお店がお鍋を用意していると言うのでそこに行く。店の人達の対応の良さに心温まっている頃、朝の弁当屋の主人が店に訪れる。弁当を買いながら夜のお誘いをしていたのであるが、何時も来てくれる友人に感謝したいと本当に参加してくれたのだ。
 さらには、彼の行きつけの店にも誘ってくれ、その場を全て支払ってくれた。翌朝感謝で弁当屋に顔を出してから帰路についたが、また来てくれとお土産も頂いた。購入している弁当代は数百円という安価な物なのに、それを遙かに上回る歓迎の姿勢が素晴らしすぎて、南相馬に心地よい思い出を残してくれた。
 
 その街を好きになるか、嫌いなままで去ってしまうのかは、この様な人と人とのつながりに有ることを改めて感じ、我が木更津市民は来訪者に同じような『想い』を残すことが出来ているだろうかと、改めて南相馬の旅の中で考えさせられた。