避難所を体験する
2012/11/24記
 木更津市では市民力の向上のため、市内で活動を行う団体に資金援助という形での活動支援事業を行っているが、本年度からもう一つの柱として住民団体による地域力の向上も目指している。
 市内で最初に地域団体として認められたのが『岩根西地区まちづくり協議会』であり、その最初の事業として企画されたのが東日本大震災を経て必要性が痛感されている「災害時避難所体験」で、これにより地域住民に模擬避難所の経験を積んでもらうと同時に、地域の区長や民生委員などに避難所の運営について経験を積んでもらおうというものである。
  日程は23日の朝9時からスタッフは集まり設営作業を行いながらそれぞれの持ち場における役割を確認する。午後2時から避難者の受入が始まる。この避難者は、回覧や公民館からの情報によって今回の企画に申し込んだ人達で、当初は百人を募集したのであるが当日が冷たい雨の日であったため欠席が多く、少ない人数での開始となった。私も「被災者」の1人として参加したので報告する。
 
 午後3時10分よりオリエンテーションが開始され、諸注意の後に毛布や非常食・段ボール等の配給が行われる。
 非常食は賞味期限が近い備蓄品であるが、毛布はそうではないらしい。聞けば備蓄倉庫の毛布を使用するとクリーニングして返さねば成らぬと言われ、その予算が無くて、別に工面したようだ。このような事が障害になって訓練が出来なくなるようでは問題である。
 午後4時からは『かずさ災害支援ネットワーク』の斉藤代表による支援活動を通じて感じたことの講演会が行われた。映像を効果的に使用して、被災がどの様にひどいか、またどの様に考え避難すべきかなどの話であった。
 6時からは炊き出しのおにぎりが夕食に配給される。参加している子どもたちが率先してお手伝いしている姿には感心させられた。被災地で子どもの元気が励みになったという話を聞いた。学校参加での行事とすると大変だが、子どもも多く参加すべきだろう。
 7時からは木更津赤十字奉仕団による「災害時に知っておきたい知識と技術」と題して三角巾の使い方などの実習が行われた。
 9名もの赤十字のスタッフに参加いただき、参加者は実際に体を動かして研修を積んでいた。ところが私はこの研修時間中は諸般の事情で映像記録係を行っていたので、カメラを通じてやり方を学んでいたが、手を動かしていないので、現場で三角巾が使えるかというと心許ない。
 9時に消灯となる。冷え込みが厳しいと予想されていたので体育館内では多くのストーブが炊かれ、冬山用寝袋との相乗効果で寒さを感じることはなかった。実際の避難所のように寒さを味わってもらった結果、風邪でもひかれては困るので仕方がないだろう。
 
 翌朝、暗い内から皆が目を覚ましており、午前5時には照明も点き、各自が寝具の片付けを始める。私は横になりながら持参したラジオを聴いていると宮城県で地震が起きたようだ。深夜には茨城でも地震があったようで、群発性が気になる。因みに夕方の地震も含め、この日には次の4件の地震が発生していた。 
発生時間 震源 マグニチュード 最大震度
24日00時51分頃 茨城県南部 4.4
24日05時21分頃 宮城県沖 5.2
24日10時30分頃 宮城県沖 4.8
24日17時59分頃 千葉県北西部 4.9
 朝6時半から体育館内でラジオ体操を行い、終了後非常用五目飯にお湯を入れ、朝7時頃から朝食を取る。五目も美味しいのではあるがもっと種類があっても良いだろうとは参加者の声である。
 朝食を食べ終えたら7時半より防災備蓄倉庫を見学する。倉庫の中身の少なさに一同が驚く。木更津市では市内全域で年間150万円の予算だと言うと、袖ケ浦では300万円で、さらに毎月シルバー人材センターが点検しているという。言葉を失う話題である。
 8時少し前に閉会セレモニーが行われ、解散となった。
 
 参加した皆様に聞かれると、まずは行政の支援や行政の備蓄に頼ることなく、個人で3日間を過ごせる対策を考えて欲しいと伝えて来た。登山やアウトドアの趣味が無くても各自が非常食を家庭で保管し、時々は子どものおやつや、体調が悪くて食事を作れないときなどで消費して新しい物を買う、というスタイルを作ることが非常にに役に立つであろう。今回の体験の中でそれに気づき、回りに伝えて頂きたいと思いながら、髭面のままで帰宅した。