2012年を振り返る
2012/12/31記
 やはり今年も部屋の片付けが終わらないのだが、大晦日の恒例となっている「今年を振り返って」の記載を開始する。
 
 2012年を代表する文字は「金」に成ったように、国内としてはロンドン五輪で史上最多のメダル数を確保したことが明るい話題であったが、政治は民主党の決められない政治が続き、経済的にもデフレ脱却や東日本大震災からの復興が進まないまま、1年が過ぎたように思う。
 
 世界的には指導者の選挙が相次いだ1年であった。アメリカの大統領はオバマ氏が再選したものの、中国共産党の総書記には習近平氏が就任、ロシアの大統領はプーチン首相が返り咲き、韓国では初の女性大統領として朴槿恵氏が選出された。これら3国の変更前に国内向けに威厳を示すためか、日本の国境地帯が騒がしくなり、中国では破壊的なデモも発生するなど、過渡期の摩擦が多い年であった。
 日本でも年末の選挙で自民党が政権へ復帰し、北朝鮮を巡る周辺国の代表の多くが変更となった中で、金正恩氏はロケットを発射し、東アジアの安定の難しさを実感させられながら来年を迎えることになる。
 
 ただ、欧州研究機関がヒッグス粒子を発見し、iPS細胞を作成した山中教授にノーベル賞が与えられるなど、科学の進歩は実感できる年であったし、固定価格買い取り制度によって日本でも再生可能エネルギーの普及が進んできた事は、未来に向かって明るい話題であったと思う。
 
 木更津市役所の選んだ「平成24年市政10大ニュース」は、優先順序を着けず、時系列順に下記一覧(一部抜粋有り)を発表した。
No 項目 時期
1 市制施行70周年(式典及び各種記念事業を展開) 通年
2 内房線・久留里線開業100周年/SL記念号運転 2月
3 木更津市マスコットキャラクター「きさポン」誕生 4月
4 かずさアクアシティ金田東地区まちびらき:MOP開業 4月
5 木更津総合高等学校野球部(夏の甲子園大会出場) 8月
6 過去最大の尺玉・大玉の競演(第65回木更津港まつり) 8月
7 貝渕踏切の拡幅を含む4車線化 10月
8 ちばアクアラインマラソン開催 10月
9 学校支援ボランティア、文部科学大臣表彰受賞 11月
10 中学校3年生まで医療費助成(現物給付)の実現 12月
 
 一方、千葉県は順位付け(5位と7位は同率)を行い、下記の一覧(一部抜粋有り)を発表した。
No 項目 実施日
1 「ちばアクアラインマラソン」開催 10月21日
2 成田空港を拠点とする日系LCCの新規就航 7月03日
3 木更津市に首都圏最大級のアウトレットモール開業 4月13日
4 第90回全国高等学校サッカー選手権大会
 市立船橋高等学校 優勝
1月09日
5 全国初、避難のための津波浸水予測図等の公表 4月25日
知事のタイ王国訪問・トップセールス 8月17日
7 東日本大震災を踏まえた「地域防災計画」の見直し 8月06日
県人口、調査開始以降で初の減少 8月30日
ロンドンオリンピック・パラリンピックの
 本県ゆかりのメダルリスト9選手に県民栄誉賞等
10月16日
第46回衆議院議員総選挙の執行 12月16日
 千葉県の第1位と第3位が本市に係わることなので、2012年はまさに木更津市に注目が集まった年であったことが解る。
 
 私も、この1年は木更津市制施行70周年と称されるイベントが続く中で、地域も金田を中心に大きく変化し続けてきた年であったと思う。急な工程に無理が生じる中を、よくぞ乗り越えたと感心することも多い。
 それに比べ、個人としての私は、昨年が大震災とともに改選に伴う変革の年であったことと比べれば、ずいぶん変化の少ない年だったと思える。
 議員としての1年を振り返れば、庁舎の検討を議会でも積極的に議論を進めるために特別委員会を作ることを主張し、その副委員長に就任する一方で、会派の代表と議会運営委員会を副議長を終えた齊藤議員と交代するなど、若干の変化があったが昨年の新会派結成などの変化に比べれば大したことではない。
 むろん、何もしてこなかったわけでもなく、会派では関西と九州で、建設常任委員会では帯広市等の視察を行い、同期の十九の会では佐倉市で先進都市の研究を行い、個人的にも幾つかの学習セミナーに出席した。趣味の世界では昨年より多くの山に登ったし、春には久しぶりに海外(韓国)にも行った。でも自転車の旅やダイビング、スキー登山は行わないまま年の瀬を迎えてしまったし、読書量も昨年の48冊から32冊に激減してしまった。
 さらには、HPによる情報開示頻度が低く成ったことや、昨年は暇さえ出来れば行き11回も実施した被災地でのボランティアも、今年は3回(1/14,3/29,8/25)しか実施しなかった。
 なお、被災地に関しては8/9に個人で気仙沼に行き、11/26には農業委員会で名取に行ったが、どちらもボランティアをせずに帰ってきている。既に受給ギャップが発生していることと、地元業者の仕事をボランティアが奪ってはいけないという事で、有る意味当然ではあるが、ただ観光に行くだけで経済に寄与するという行為すら満足に執っていない事が申し訳ない。
 
 昨年に比べ、何となく楽に1年を過ごしてしまったようで、来年はもっと自己を律して厳しく有らねばと思いつつ、1年の振り返りを終了する。