西アフリカを考える | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013/11/05記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昨日はかずさアカデミアパークで開催された西アフリカフェスティバルin木更津に地元市議会議員として列席した。運営は実行委員会形式を執り、木更津市や木更津市観光協会、木更津市国際交流協会(KIFA)等で主催し、外務省、千葉県、独立行政法人国際協力機構(JICA)の後援を受けたイベントである。 このイベントは昨年の11月25日にも袖ケ浦市国際交流協会の主催により同市の平川公民館で開催されているが残念ながら私は参加していない。 開催のきっかけは、現在木更津市在住で日本人の妻を持つナイジェリア出身の王族、ガブリエル・アデウォレさんが国際交流協会と交流を行った事に起因するもので、今回のオープニングセレモニーでもアドバイザーとして主催者側に参列されていた。因みに来年は習志野市で開催の予定のようだ。 会場の設営や運営のため、多くの職員や各種団体のボランティアスタッフが、3連休を返上して走り回っている姿には頭が下がる思いであった。 ところで、地理上の西部アフリカ諸国は下図の16ヶ国である。 上図は昨日の会場に掲示されていたものであるが、このうち、アラビア語を公用語としているモーリタニア・イスラム共和国を除く15ヶ国が、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)を構成している。これは1975年に、西アフリカの域内経済統合を推進する準地域機関として設立されたもので、構成国の概要を外務省のHPより引用すると、下表の通りである。 |
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※公用語の葡語とはポルトガル語を示す。大使とは各国の駐日大使の有無の事で「○」の国が日本に大使を置いている。 15ヶ国の合計面積は日本の約15倍、人口は2.4倍となる広大なエリアで、政情の安定していない国々も多いが若年人口も多く、豊富な資源と安い労働力を活用して経済成長も著しい。因みに欧州連合(EU)の概要は、同じく外務省によると加盟28ヶ国の合計面積429万km2、総人口50,810万人なので、それと同等程度の規模ではあるが、私にとって精神距離は遠く、国名を聞いて地図の場所を示せるものはマリとナイジェリア程度しか自信が無い。 今回参加した10ヶ国はECOWASのうち、日本に大使を置いている国々であり、今回のフェスティバルの協賛者である。公用語が植民地時代の宗主国の言葉である事は、欧米先進国が企業を進出させるためには便利であろうが、統一国家としての意識や文化の継承といった上での弊害も多いだろうと思う。 オープニングセレモニーで挨拶していただいた外務省中東アフリカ局アフリカ部長の岡村善文さんは一人で日本語と、参加された国々の公用語となる英語、仏語の3ヶ国語をあやつり、内容もアフリカへの熱い思いが感じられる素晴らしいスピーチであった。 オープニングセレモニーに続き、協賛諸国を代表し、ペナン共和国のゾマホン大使による講演会が開催された。 ゾマホンさんは、言うまでも無いだろうが、ビートたけしの付き人として有名になって、芸能活動や本の印税で得た収入で祖国の地方部に学校を作り、さらには日本留学の手助けになればと日本語学校も運営している事が認められ大使になったのである。 大好きな日本語として「おかげさま」を挙げ、欧米の個人主義より日本の集団主義のほうが世界の安定に寄与するという視点や、欧米による収奪的な植民地主義と日本の開発的植民地主義の違いを明言するなど、並みの日本人以上に感覚が優れていると感心させられた。 ただ、人口3億人を越える地帯に日本からの直行便が無いことを嘆いていたが、3億人を一つの市場と出来るような交通インフラの整備や西アフリカ統一言語教育の実施などが進み、治安の安定と近代的な商慣習がいきわたらないと拠点空港の設置は難しいだろうと考えながら聞いていた。 午後からもアフリカ理解セミナーやビジネスフォーラムが開催されていたが、1階ロビーで販売していたアフリカ料理を食べた後は所要により退席した事が残念である。なお、スタッフ控え室の弁当は日本食であったようだが、アフリカ料理を味わう余裕があったのか、心配である。 私は近くの東・東南アジアには時々出かけ、理解も人並み以上に深いほうだと思っているが、人類発祥の地であるアフリカを始め、もっと広い視野を持たねばと考えてしまう一日であった。 |