特定秘密保護法に思う
2013/12/08記
 先週の金曜日に成立した特定秘密保護法について、多くの報道関係者や文化人・学者に留まらず、国民の多くが欠陥があると指摘し、連日メディアのトップを飾っている。同じ日に提出された「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」(通称、カジノ法案)などは霞んでしまい、ほんの小さな扱いになっていた。
 
 特定機密保護法案については、国民の大多数は外交や防衛の場には秘密が有るのは理解しているが、
@機密の範囲が極めて不明確で際限なく拡大可能
A指定された機密が保護に値するか検証する機構が弱い
B機密にされている期間が長く実質的に開示義務が無い
C機密と指定する実務権限が官僚に有り運営が信じられない
といった点で心配を抱く気持ちは私も同感である。
 
 機密の境界を明確にすると、かつて防衛費がGNPの1%を維持しているのかどうかといった質に関係ない、重箱の隅のような議論に成る可能性があることも解るが、テロに関する情報というだけで生活に関する全ての情報を機密にすることも出来る。その為、ミスや問題を秘匿するための手段に使われる可能性があることも懸念される。
 従って、第三者機関による指定時点での検証と、一定期間後に全てを開示することによる国民の検証が必要となると私も思う。沖縄密約のようなものも、その時に何があったか歴史の検証のためにアメリカと同様、必ず開示すべきで、事実を外国の公文章から知るという情けない国にはしたくない。
 
 法案を制定した政府は本当に秘密にしなければならない事項だけを機密に指定し、知る権利を確保させることに自信があるだろうし、官僚だって国民議論の状況を知っているので慎重に運用を始めるであろう事は想像できる。
 しかし、時が経ち世代が変わり法案だけ残ると、失政を隠すために政府は多くの機密を指定したくなる事だって容易に想像できる。それは民主党が与党であった時の政府を見て、権力とはそのようなものだと私を含め国民の多くが達観してしまったからである。
 民主主義が多くの情報に支えられ、健全に機能している内に、法律の懸念材料を物色できるような法改正がされることを願うものである。