バラマキを危惧する | ||
2014/03/20記 | ||
市長選挙も中日を過ぎ、残すところ本日を含め3日間になった。街中では選挙カーが走り回り、新聞には双方のチラシだけでなく選挙公報も折り込まれ、インターネット上では立候補者の声が聞ける『e−みらせん』という、かずさ青年会議所が録画した情報が提供されている。少し前までは選挙があることを知らない市民も多かったが、毎朝の広報無線放送で不在者投票の情報も流れる中で意識も高まり、今週末の投票日を迎えることになるだろう。 今回の市長選挙は双方とも水越市政の継承を掲げ、大きな争点がないと新聞記事では目にすることが多いが、私には行政の継承のため市民参加を求める小さな政府型の渡辺候補と、行政には弱者を支える役割を求める大きな政府型の石川候補という争点が見えてくるのではと、たまたま18日に聞いてしまった石川候補の街頭演説を聞いて思うことになった。 ![]() ![]() 何でもやりますと言いながら、結局出来ることが限られ、政治が混乱したことは2009年7月21日に民主党を圧勝させた国民全てが理解していると思うのだが、相も変わらぬバラマキが提案されていることに危惧を覚えるのは私だけであろうか。 2011年3月11日に自治体が機能しなくなる瞬間を目撃してしまった私たちは、最終的には地域の力が強くなければ生命に係わることを学んだハズである。自助と互助が成り立つ社会を構築し、それで達成できないところは公が支えるという構造に向けて、あえて市民の覚悟を求める姿勢に私は共感するのである。 一昨日に出席した小学校の卒業式で校長先生が孔子の言葉を引用されていた。それは『学んで思わざるは即ち罔し、思うて学ばざれば殆し』という論語であった。 ![]() 石川候補は東大で学び建設省で様々な政策を進めてきた優秀な官僚であるが木更津と市民について考えて来るような機会が少なかったので政策が自分のものに成っておらず、一方の渡辺候補は県議会議員や地域のボランティアをする中で多くの人々と議論を重ね、地域を思いながら学びを続けて来たので独断に陥ることもなく自分のものになって居るのだろう。 いよいよ3日後には新しい市長が決まる。耳障りが良いだけで実現性の低い方向に進まないことを強く願っている。 |