韓国の海運事故に思う
2014/04/21記
 韓国の珍島近くで16日の早朝に旅客船セウォル号が沈没事故を起こし、船長が真っ先に逃げたとか、船内放送で避難を指示しなかったことなど、連日大きなニュースになっている。この船が日本で造られたという報道があったし、個人的にも見たような記憶があったので調べてみたら、鹿児島県のマルエーフェリーが所有していた「フェリー・なみのうえ」との事である、マルエーフェリーという名前がピンと来なくて再度調べてみると2005年に社名変更を行った元は大島運輸で有ったことを確認し、あの船にはかつて南西諸島を縦走したときに乗ったことのある船だったと気付かされた。
 過去の写真を探してみたが、残念ながら船を写した物は無いことが解った。沖縄に船を運航させていた琉球海運・有島運輸とともに大島運輸も操船技術が素晴らしく、入港する船の動きを感心して見ていた記憶がある。
 
 今回の事故が日本で発生したときには、確実に乗員を避難させるまで乗員は職務をまっとうすることであろうと、今まで数多くの航路に乗りながら船員と会話してきた感覚で信じている。具体的な事例でも2009年に「フェリーありあけ」(この船も吐喝喇の旅で乗船した)が三重県沖で高波により沈没した時は、旅客の全てをヘリで救出させた後に、乗員は救命ボートで避難している。
 3年前の東日本大震災では、被災した自治体職員が、自分の親族の安否確認を後回しにして、自らがこの場で行わねば成らない職務を全うし、住民の多くも自らが為すべき事を自覚して無用な混乱を生じさせないよう、諸外国の災害報道からは信じられないような自重をしていた事も思い出す。
 また、全電源喪失した福島第一原子力発電所に留まり対策を尽くした東京電力の職員や、大津波警報が発令されている中で避難を指示し水門の封鎖に走り回っていた消防団員のように、命を賭して他の多くの生命を守ろうとした人々も忘れられない。
 
 今回の韓国の事故は真っ先に船長が逃げたという事で批判が集中しているが、人命に関係ないような事では現場から逃げている人は日本にも沢山居る。
 さらには我が地域に大規模災害が発生したとき、私は三陸沿岸の職員や住民のように絶望や悲しみを乗り越えて秩序有る行動を行うことが出来るだろうかと、3年前から思っていた記憶が今回の事故で呼び起こされた。