広島の災害で考える
2014/09/01記
 本日は91年前の1923年(大正12年)に関東大震災が発災した事に起因する『防災の日』である。それ以来関東には巨大地震が発生していないので、そろそろ危険だという話が出続けているが、今回は地震災害ではなく、広島で生じた土石流災害について思う事を記載する。
 
 20日未明に広島市を襲った豪雨は場所によっては時間最大雨量が100mmを越え、数日の間に1年間の雨量に達するような異常な状況となり、崩れやすい土質や急峻な地形、山裾まで接近した市街地という条件が重なり土石流の災害としては近年にない規模の人的被害を発生させてしまった。昨日でも死者が72人、行方不明が2人という状況で、千人を超える人々が今でも避難生活を送っているという報道が有った。
 自衛隊や全国の警察、消防など約3500人の態勢で昼夜を問わず行方不明者の捜索を続けているようだが、続く降雨のために2次被害が予想され、頻繁に中断と退避が行われることや、水を含んだ土や多くの流木や岩石、流された家屋や車両に阻まれ、作業は非常に難航しているようだ。
 災害後、直ぐに住民も動きだし、ボランティア活動への申し出も多かったようだが、需要との調整や受け入れ態勢のため、当面は広島県内の方々にのみ協力をいただくとボランティア本部のHPには記載されている。
 被害に遭われた方へのお悔やみと、現地で奮闘する皆様への深い感謝を申し上げるとともに、災害が拡大しないことを祈るばかりである。
 
 ただ、今回の災害から10日も過ぎて、どうにも気になることが数多くある。それは今回の災害が発生した場所が人口約120万人近い政令指定都市の広島市で、災害箇所は複数であるとはいえ、東日本大震災の広大さから比べればコンパクトであった。
 従って、私の想像では多くの災害協定を結んで居るであろう広島市内の建設会社が速やかに土砂の搬出を行うとともに、流竹木はチップ化されるか焼却処分されることで、現場は速やかに片づくものと思っていた。しかし、現実は報道の通り泥と木と石の撤去が進まず、捜査や復旧は難航していた。
 原因は、50万立方メートルとも言われる大量の土砂の処分先がなかなか決まらず、28日になって、やっと広島港にある県営の廃棄物処分場に受け入れることが表明された。災害から1週間もの間、何をしていたのかと思うとともに、では木更津で同様の災害が生じたときに処分可能な場所があるだろうかと考えると、やはり対応が困難な事に気が着く。
 
 91年前の関東大震災で発生した大量の瓦礫を処分するため海を埋め立てて出来たものが横浜の山下公園である。木更津港でも現在内港の埋立が進んでいる事を考えると、何時災害が発生しても速やかに残土や瓦礫を受け入れる事の出来る『ポケット』を常時用意しておくことの重要さを考えてしまう。特に豪雨が頻発し、大規模震災も近いと言われる昨今では、その準備が初動を大きく左右するのではと思うのである。
 今回の広島の災害報道を見ながらそんなことを考えていた。