中東からの報道に思う
2015/01/28記
 イスラム国と名乗るテロリスト集団に拘束された日本人の報道が連日トップニュースになっている。2人の人質の内、1人が既に処刑されたかのような情報と、ヨルダン政府軍のパイロットを含めた人質と犯罪者の交換を行うかという他国を交えた複雑な国際事情なども有り、多くの人々が感心を寄せている。
 今月7日にフランスで発生した週刊紙「シャルリ・エブド」に対する表現の自由に対するテロ行為に対する憤りが込められているかのように、人質になっているジャーナリストの後藤さんの解放を願う多くの人達が「I AM KENJI」という運動を進めている。後藤さん個人の人柄や功績が素晴らしい事も原因だと思うが、この活動の広がりには私も深く共感を受ける。
 
 しかし、この問題を大きく取り上げれば取り上げるほどテロリスト達の思うつぼに填っているのではと最近は思っている。人命の重さを論じるつもりはないが、2013年1月16日にアルジェリアの天然ガス精製プラントを襲撃し建設工事を担っていた「日揮」の関係者である日本人10人を含む多国籍の41人が人質として拘束された事件に比べ、報道の頻度が高いのではと思うのだ。
 
 アルジェリアの事件は軍の特殊部隊を投入することで制圧されたが日本人を含む多くの人質が死亡した。国際貢献にビジネスで参加していた技術者より報道関係者を重視するのは、報道の業界の中に留め、世の中に情報として流すときは過大にするべきではないと思う事が今回の報道に違和感を持つ理由の一つである。
 
 次の理由は、アルジェリアの事件では現場からの情報が少なかったことに対し、今回はテロリスト集団からYouTubeやメール等の媒体を使って映像を含んだ情報が流されているが、それを画面を埋めることが出来ると考えたテレビが引用している事だ。批判的な解説を行っているとは言え、事件を広める手先に成っている事は否めないだろう。本来は秘密裏に交渉されるべきものと思うが、報道を見た多くの人達が騒ぎ、政府に様々なことを伝えることは正しくない方向に結果を招く可能性が有るのではと思うし、この事件に乗じて勝手な自己主張を行うものの発生が続いている事にも嫌悪感を感じているのである。
 
 人質を取って様々な要求を行うという卑劣な犯罪は憎むべきものであるが、既に10年以上続いているソマリアの海賊によるものや昨年4月に学校を襲って多くの女子生徒を拉致したボコ・ハラムの問題、そして日本にとっては未だに解決が出来ずにいる北朝鮮による拉致問題など、形式は違うが多くの事案が世界中で発生している。今回の事案も憎むべき事件ではあるが、ここは専門家に任せて、もっと生活への影響が大きい経済や環境などの問題を報道し、国民の啓蒙を行うことを報道には努めて貰いたいと私は思うのである。
 
 今回の報道の嵐の中で気が付いたのは、報道機関も画像情報が決して満たされているわけではなく、ニュース性が高いものを必要としていることである。御嶽噴火のYouTubeが多用されていたことでもそれが解る。
 マイナスの話でなく、木更津の良い情報や楽しいネタを画像情報として積極的に発信できるような組織を作ることは、現在の情報化社会の中で必要なのではと思う次第である。
 
 
 
追記
 2月1日に後藤さんが殺害されたという報道があった。日本は中東でパレスチナの支援をするとか孤立するイランとのパイプを維持するように中立を保っていたと思うが、臆病者が貧弱な思考の中で人質の殺害という蛮行に及んでしまった事に憤慨する。
 国家をどの様に形成するかという議論と闘争という仮定の近代を経験することなくイギリスとフランスによる国境が策定された中東で、今更のように血を流して国民国家を作る過程を行っているという錯覚に陥っている団体が居て多くの住民が不幸に成っている事も気が塞ぐ。他の近代史は描けなかったのかと、繁栄を続ける東南アジアを降りかると、かれこれの差が気になるばかりである。
 これから海外で活躍する邦人の誘拐が続いたり、国内でテロが発生するような事態にならないことを願い、一刻も早く中東の住民による安定した自治政府が形成され、このテロリスト集団が法の下に処分されることを願うとともに、この戦場の中で情報を伝え支援の手を差し伸べ続けた後藤さんの冥福を祈るばかりである。