自然の猛威を畏れる
2015/06/02記
 5月30日の夜に発生した小笠原沖の巨大地震は1885年の観測以来始めて日本全都道府県で震度1以上の揺れを確認させ、改めて自然の力を見せつけた。翌日になって気象庁はマグニチュードを8.5から8.1に、震源の深さを約590kmから682kmに修正した。M8以上の地震としては世界で最も深い震源という事だ。日本海溝で沈み込んだプレートの先端がマントルに溶け込むためにへし折られた衝撃と考えると解りやすそうな地震であり、当然小笠原沖の一点で発生したのではなく想像を絶する巨大な岩盤が広いエリアで破壊されたのであろう。
 なお、小笠原村の観光パンフレットによると父島の東京都心からの距離は984kmであり、地震の発生深さの1.44倍に過ぎない。小笠原沖などと言うと近海で起きているようだが、小笠原深海地震の方がイメージが近いかもしれない。
 
 ちなみに国内でM8以上が観測された主な地震は1891年の濃尾地震(M8.0)、1896年の明治三陸地震(M8.2)、1933年の昭和三陸地震(M8.1)、1946年の昭和南海地震(M8.0)、1952年と2003年の十勝沖地震(双方ともM8.0)、1994年の北海道東方沖地震(M8.2)そして2011年の東北地方太平洋沖地震(M9.0)である。なお1923年の関東地震(関東大震災)はM7.9、1993年の奥尻島が津波に襲われた北海道南西沖地震はM7.8、1995年の兵庫県南部地震(阪神大震災)はM7.3と今回よりエネルギーレベルが低い。どんな状況で発生するかが災害の大きさを決める事になるとつくづくと思う。
 
 地震に先立ち5月29日には口永良部島で噴火が起きた。この島には素晴らしい天然温泉が多く、いつかは行きたいと願いながら未踏の島だった。そのため世話になった宿も知り合いも居ないが日本の多くの火山や火山島を見てきた経験からは人ごととも思えず、何らかの支援をしたくなる。
 

鹿児島県 硫黄島

北海道 雌阿寒岳

吐喝喇列島 中之島御岳
 
 東京都青ヶ島では1785年の火山噴火で島民が八丈島に避難したため無人島になり、八丈島で苦労した島民は1824年に帰還を果たした。これは昭和になって柳田国男が「還住」として紹介して有名になったが、最近の三宅島を出さずとも昔から日本人に繰り返し訪れていた厳しい現実である。
 このような自然の猛威と共存する中で、日本人の自然に対する畏怖や宗教観が醸成されて来たのだと、特に東日本大震災の被災地での静かな悲しみと整然とした秩序の中で思わされた。
 
 大地動乱の時期に入ったと言われる状況下では、東海・東南海に起因する大規模地震や津波、また富士山噴火による降灰の被害なども覚悟して、それに備えるべきだとは思っている。
 自治体としてもそのような準備が必要だが、いざというときには口永良部島の住民のように迅速に落ち着いて行動が出来て、状況を悲観するのではなく受け入れる心構えを持たせることも重要だろうと思う。月末の自然の猛威を前にその様なことを思っていた。