ノーベル賞報道に思う
2015/10/15記
 今年のノーベル賞は5日の医学・生理学賞で北里大特別栄誉教授の大村智さんが受賞し、翌6日には物理学賞で東京大宇宙線研究所所長の梶田隆章教授が受賞するなど、序盤から大変盛り上がったが、村上春樹氏の文学賞や憲法9条の平和賞が受賞する事が出来なかったため後半は静かに過ぎ、気が付いたら経済学賞の発表まで終わっていたという感じがする。
 今年のノーベル賞は下表のように10人と1団体に送られているので、日本人2人が受賞したと言っても約2割を占めているだけである。世界経済に占める日本のGDP割合が8%程度であるから、この程度は毎年有りうるべき事だと考える時代になった、と個人的には思いたい。
 
日付 賞名 受賞者名
10/5 生理学・医学賞 ウィリアム・C・キャンベル
大村 智
屠ユウユウ
10/6 物理学賞 梶田隆章
アーサー・B・マクドナルド
10/7 化学賞 ポール・モドリッチ
トマス・リンダール
アジズ・サンジャル
10/8 文学賞 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ
10/9 平和賞 チュニジア国民対話カルテット
10/12 経済学賞 アンガス・ディートン
 
  個人的に今回のノーベル賞で嬉しかったのは大村智さんが山梨大学、梶田隆章さんが埼玉大学と、どちらも地方国立大学の出身だったことである。特に大村さんに至っては卒業後に定時制高校の教師を務めた後に東京理科大学に再進学して研究の道に入ったという事である。研究者ではないが、同じ地方国立出の私としては実績が評価された事が嬉しく思えるのである。
 そんな事を言いながら、私も人を評価するときに卒業した大学を大きな要素として見てしまう傾向が有る中で、たった22歳前後で卒業した大学といった肩書きでなく、それからの長い人生で何処まで研鑽を積んできたかが改めて重要だから改めろ、と海外から教えてもらったような気がするのである。
 
 官僚の世界は大学卒業前に受けた国家公務員試験の成績が退官まで影響するとも聞く。本当に必要なことは必要な能力と情熱であるが、それは特別な場合を除き昇級に結びつくことが少ない。今回明るみに出た厚生労働省のマイナンバーシステムの汚職や、国土交通省の羽田格納庫汚職なども、出世コースに乗れないが実力のある者が大きな責任感を失って間違った方向に進んでしまったのではとも思われる。
 木更津市役所は比較的実力主義の幹部人事をしている様ではあるが、中には年功序列としか考えられないポストも有り、世の中に出てどの程度実績を積んできて、今の実力はどの程度なのかという視点での評価をもっと行うべきではないかと思う事が多い。
 
 ノーベル賞から話が若干ずれた気がする。1600年前の漢方薬の資料を基にマラリア対策を行った中国人女性研究員の屠ユウユウさんとかの情報も多く報道されれば良いのにとか、色々思ったことも多いノーベル賞ウィークが終わったところでまとまり無いままに今回の記載を終える。