大震災の談合を考える
2016/01/21記
 もうすぐ東日本大震災から5年目となる。震災で破壊された高速道路は世界が驚愕するような速度で復旧され、被災地へ資材や人員を大量に送り届けることに寄与したことは万人が認めるところであろう。さて『東日本大震災の「復旧工事」をめぐる舗装業者の談合疑惑』が今頃になって話題になりはじめた。東京地検特捜部は各社の持つアスファルト工場の近くの工事を優先的に高額で受注できるよう調整した疑いがあると捜査をしているようだ。
 
 通常の仕事で有れば受注機会の公平さや公平な競争による事業費の抑制のため、談合は認められないという立場は理解できるし、それを罪に問う事には異論はない。しかし、この問題は東北の一刻も早い復旧のため、人手不足の中で効率的な工事を進める必要がある状況下で起きた談合である。
 東京地検は「輸送コストを抑え利益を確保する狙いがあった」と考えているようだ。確かにそれも全く考えていなかったわけではないだろうが、遠くのプラントから輸送する場合は往復時間が長くなるために輸送車両が多く必要になり、あの特殊な状況の中でダンプや運転手を各社が充分に確保できるとは思えない。人員確保の困難に伴う工事の遅れが生じた場合、受注業者は違約金を払うという事態になるが、それより道路復旧の遅れは復興の足枷に成ったであろうし、そのような事態になった原因が業界の調整不足だと解った場合、マスコミは競争による受注を批判したのではないかと推測される。
 
 入札に参加した各社とも建設業者としての責務を自覚し、昼夜を分かたず休日もろくに取らずに復旧工事に携わっていたことは容易に想像できるし、震災の年にボランティアとして深夜の東北道を何回も走っていた私の目に映った工事現場からも伝わってきた。
 また、発注時点の積算単価は復旧に向けた労務単価高騰前の価格で行われているため、通常通りに仕事が終わったとしても利益が見込めないと建設事業に携わるものなら危惧するであろうし、まして復旧は新設と違って予想外の出来事に対応する必要が多くなり、サービス工事の発生も予見されることから少しでも高めに取ろうとするだろう。あの状況で談合が行われなかったら入札に応じる業者が現れず「不調」という形になって再入札の手続きを取り、復旧が遅れた事も用意に想像できる。
 そのような意味で、今になって当時の担当者の活躍に水を掛けるような東京地検の態度やマスコミの姿勢には嫌悪感に近い感情を覚えてしまうのである。
 
 もちろん、常に談合を許すわけではないが、近いうちに発生が懸念されている首都直下や東南海地震の復旧の祭に建設業者が萎縮してしまい速やかな復旧が進まなかったとした場合、原因はあの時の東京地検の捜査に対して業者を養護しなかった世論の責任になりそうだとと感じて、今回の記載をしている次第である。
 ただ、惜しむらくは東日本高速道路が各社に随意契約としなかったことである。建前上の競争入札という姿勢としてしまった結果、東京地検が法令違反を追求する結果になる事は「検察」の立場からは当然である。そのような事態を二度と繰り返すことの無いように今のうちに見直しを掛けておくべきだろうと、かつて所属した日本道路公団に思いを馳せながら今回の記載を終える。