地方創生の背景を思う
2016/01/24記
 今月は15日に鴨川市で千葉県県南部の13市の議員が集まり大森彌東大名誉教授による『人口減少への挑戦と地方創生』と題した研修会があり、22日には君津市でかずさ四市の議員に対して内閣府地方創生推進室の麦島次長による『広域連携で進める地方創生』という研修会が開催された。双方とも日本の人口減少を深刻に捉え、出生率の低い東京に人口集中が進むと人口減少が加速されるため、地方に残るような対策を立てなければ成らないと強調していた。
 
 この議論の火付け役は増田元総務大臣が書いたと言われる『地方消滅』であり、サブタイトルに『東京一極集中が招く人口急減』と有るように、人口を維持して国力の衰えを防ぐためには出生率の高い地方で若者が働けるようにする事が必要で、そのために中山間地から近くの利便性の高い地域に留まるように『コンパクトシティ』をすすめ、各地域が自らのアイディアで活性化を進める『地方創生』の取り組みが必要だというものが現在の大勢である。
 
 地方が自らの長所や利点を探し、戦略を考えると言った作業は今までの縦割りの仕事では出にくかったことであり、産官学金言労が協動していこうという考えは素晴らしく異論はない。
 しかし、昭和37年から始まった全国総合開発計画で地域間の均衡ある発展を目指し、交通網の整備や工業地帯の造成等を進めて、地方に仕事を増やしてきたはずではなかったかと思うと、過去の全国総合開発計画の失敗を反省することなく、今度は国にもアイディアがないから各地で独自に考えてくれと言っているような気がして何とも腑に落ちないのである。
 そういえば今回の地方創生の議論が出たのは「五全総」とも言われる『21世紀の国土のグランドデザイン』の目標年次として定めた2010年から2015年までが終わった頃だと考えるのは思い過ごしであろうか。君津に講師としてして来ていただいた麦島次長も国土庁の出身だったし、背景は何だろうと思ってしまうのである。
 
 東京や大阪といった大都市が世界の大都市と競争する事で国の活力が出るとしたものが「大阪都構想」の根底にあり、東京についてもオリンピックを誘致する中で都市構造を改革し、よりよい街を目指している。人口増加都市の上位に高層マンションを林立させた中央区や港区が入るなど、都会に人を引きつける政策を進める中で、国の本気度を疑うし、地方に対して努力が足りないという言い訳をするための方便が「地方創生」なのかと思えてしまう。
 
 地方で出生率が高い自治体は九州や沖縄に多いが、上位に君臨する徳之島の伊仙町で独自の秀でた産業が有るのだろうかと考え、県別最高の沖縄県が所得水準が最低で失業率が最高である事を思うと出生率は地方創生と無関係であると思われる。重要な事は早く結婚して子供を産むことが普通に感じている社会と、子育てを近所の人達がさりげなくカバーする地域だと思うのだ。
 地方に若者を残すというなら地方国立大学の授業料を無料に近い状態にするとか、政府機関の地方移転を進めるとか施策はあるだろうが、地方創生のメニューに出てくるCCRCを斜めから見たら高齢者の地方還元である。都会が福祉の労働として若者を吸引してしまう事態は防げるだろうが、若者には福祉だけでなく創造的な職場も用意したいと思うのである。
 
 地方創生の事例集を見ても地域産品の販売を促進するマーケッティングや観光に寄与するためのアプリの開発とかが目に着く。これを担う会社は都会にあるコンサルタントやIT企業が多いだろうと考えると地方創生と言いながら地方を経由して都会に戻るお金も多そうだなと考えてしまう。
 
 既に東京周辺で生まれ育ち「故郷」と思われる場所を持たない者も少なくない状況ではあるが、地方で生まれた人が都会に対してコンプレックスを持たず、逆に哀れみの視点すら持つようになり、まして都会に出て仕事をしようと思わないような世論の醸成。
 本社が東京に有ることが大企業や上場企業だと勘違いしない経営者の在り方と東京における求人が困難になる制度設計。
 全国放送や新聞のほとんどが東京で作成されていることを可笑しいと感じ、政府機関だけでなく報道機関も地方分散が進む、などこの国の在り方を変えることを併せて行わない中で行われる地方創生に疑問符を持ちながら、単なる新しい公共事業だと割り切ることも必要なのだろうと、2回の研修を聞きながら思っていた。