爆破予告騒動に思う
2016/06/17記
 今週の月曜日に市役所から危機管理室から『県内保育施設への爆破予告メールに関する情報提供について』と題するFAXが送られてきた。内容は千葉県警察に対して6月10日の23:27に送られてきたメールが県内保育施設に634個の爆弾を仕掛け6月11日から13日までの間の15:34に爆発させるというものであり、本市での対応方針も示されていた。
 
 今年に入ってから埼玉県三郷市や千葉県市川市などで爆破予告が続いており、悪質な悪戯であると多くの人が感じていながら、万が一本当であったときに後悔しないように一時的に避難するとか、不審物がないか等と対応することになる。
 犯人はこの様な騒動が起きることで自分の存在が大きくなったように勘違いしている者か、その模倣犯のような者だと思われるが、現実世界で満たされない思いをこの様な方向に進めている愚かさが情けなく思う。
 
 インターネットの普及以前から新聞の切り抜きで脅迫文章を送るような輩は居た事は覚えているが、ネット後にはパソコンやスマホから手軽に遅れてしまうことで罪の意識が低くなったのか、簡単に良心のハードルを越えて、このような事件が多発している。
 学校教育やテレビでの特集番組などで対応を試みていても、心に届くことは少なく、発生を防止することは困難な社会に成っているように感じている。
 
 世界的には愉快犯による騒動よりテロリストによる悲惨な事件が連発しており、爆破物や銃などの流通が現実的な中では、愉快犯を所詮騒がせているだけ等と侮っていると酷い現実が訪れる可能性も否定できないだけに一層やっかいである。
 
 刑法の厳罰化や、犯人に対する損害賠償といった民法的対応などで抑止効果を高めることも有効な手段であるが、現実社会に希望を持たせるような夢を何か与え、情熱や労力を建設的な方向に向けられないものかと思いながら、今回の騒動を感じていた。