ダッカ襲撃事件に思う
2016/07/06記
 現地では7月1日の夜、日本では2日の未明になる頃、南アジアにあるバングラデシュの首都ダッカのグルシャン地区のレストラン「Holey Artisan Bakary」を武装集団が襲撃し、イタリア人9人、日本人7人、インド人とアメリカ人が各1人づつ犠牲になり、バングラデシュの方も人質2人、警察官2人が犠牲者になり、射殺された6人の犯人もバングラデシュの方であったというニュースが連日のように流されている。
 
 実行犯は非イスラム教徒である外国人の多いレストランを襲い、ラマダンの最中に酒を飲むようにイスラム教に反し風習を破壊しようとしているものを排除するという考えで行動したようだ。この事を聞いてイスラム教徒は怖く、バングラデシュは危険だという風潮が静かに広がっているように感じる。
 犠牲になった人の中にはバングラデシュ人でイスラム教徒の学生も居るが、彼は武装集団から店を離れても良いと言われながらも、一緒に食事をしていた大学の友人2人(国籍はインドとアメリカ)が店を出ることを禁じられたため、2人のそばにいることを選び殺されている。このように、武装集団に従わなかった人も居た事は忘れては成らないし、親日国であるバングラデシュでは日本人が殺害されたことの衝撃は大きく、犯人の親族を含め、事件を防げなかった事の悲しみが大きいようだ。
 
 犯人像として豊かで教養のある若者だと聴き、私は既に20年以上前に国内で発生したオウム事件を思い出してしまった。何となく閉塞感に覆われている中で、誤った道を示され、得てきた知識や育ててくれた時間を凶暴な方向に使ってしまったという点を見ると、やるせない気持ちに成ってしまうのである。
 
 やるせない事ももう一つは、日本人の犠牲者が都市の渋滞解決を検討する為のJICA関係者であった事だ。3年前にもアフリカのアルジェリアで天然ガスプラントを建設した事務所が襲われ10人の日本人を含む多くの方々が亡くなっている。共通することは国を豊かにするために現場で働く技術者が命を落としていることだ。政府も民間人の犠牲者であるにも係わらず政府専用機で遺体を運ぶなど、礼を尽くしていただいているが、重要なのは治安を回復し、彼らの犠牲を越えて次の技術者を送り、無念を晴らすことではないかと、技術者である私は思ってしまうのだ。
 
 バングラデシュを総務省統計局のHPで調べてみると人口は2015年で1億61百万人であるが経済規模は2014年で1731億USDで4兆6055億USDの日本の27分の1、世界46位である。
 当然1人あたりの名目GDPは低く世界26位に低下した日本の32,486USDより遙かに低い1,287USDで世界154位という貧しい国である。それだけに伸び代も大きく、アパレルの輸出拠点として発展している途中と聞く。それだけに交通インフラの整備は不可欠で、そこで汗を流す日本の技術者には尊敬を禁じ得ないのだ。
 
 シリアの混乱が続き、非戦闘員であるイスラム教徒も巻き込まれ、怨念がISを成長させているとしたら、暫くはこの不安定な世の中が続くことだろう。しかし内戦が続いていた東南アジアや中南米でも経済成長とともに治安が回復して来たように、中東や南アジアでも武力による犠牲者が日本国程度に収まる日も遠くないと信じたいと思い、最近の報道を聞いていた。