内房の事例を学ぶ
2017/07/15記
 先日、新聞の地方版を読んでいたら館山市にある赤山地下壕跡で一般開放からの見学者が3万人を越えたという記事を目にした。今まで行く機会がなかったが、昨日は夕方まで時間が自由になるので、夏の日射しに誘われて足を伸ばした。
 
 館山に海軍基地が出来たのは昭和5年と、木更津より古く、東京湾の入口という位置もあり各種の部隊が展開されたようである。海に面した基地の直ぐ裏には岡が迫り、敗戦による記録の焼却等もあって正式には確認されていないが太平洋戦争が始まる頃には岡の下に地下壕が建設され、最終的には全長1.6kmという巨大な空間が作られたのである。
 
 赤山地下壕の入口には市営プールや豊津ホールといった市の施設が並ぶ宮城公園の中にあり、公園は都市計画課公園係が管理しているが赤山地下壕は教育委員会の生涯学習課が所管している。豊津ホールの券売機で200円を払いヘルメットと懐中電灯を借りて入坑する。外は真夏の暑さであるが中はひんやりと冷たい。
 駐車場に自営隊車両が停まっていたが、中で多くの自衛官の方々と擦れ違う。自営隊の研修施設としても活用されているらしい。豊津ホールの方に聞くと、秋まで団体の予約が多く、断ることも有るらしい。確かにこの様に整った戦争遺跡は珍しいことと、バスツアーを企画する旅行会社にとっては安価で天候に左右されない場所として人気を集めているのだろうと、勝手に推測する。
 
 戦争に関する遺跡は日本全国にありながら、戦争を美化するという批判が出る事もあって整備されずにいたが、当時を知る人が次々と減っていく中で、歴史を直視する必要性から近年保存の動きも生じている。
 木更津市においても太田山公園の下には地下壕が張り巡らされているので、その公開も考えるべきだろうと考えての館山視察なのであるが、赤山地下壕は砂岩を掘って作られているため落盤の危険性が少ないことに対し、太田山では洪積層の砂山と脆い所が致命的なのかも知れないと考える。補強せずに見ることが出来る範囲を特定するだけでも技術者の判断が必要になる上に、坑口の多くに民有地が有ることもネックだろう。今後詳細を検討せねばと思って壕から出た。
 
 館山まで足を伸ばしたので『渚の駅』にある渚の博物館(館山城にある館山市立博物館の分館:平成23年2月5日開館)を見に行く。この施設は館山市が千葉県から移譲を受けた旧千葉県立安房博物館であり、木更津市の郷土博物館金のすずと同じような経過を辿っている施設である。
 
 入館料については館山城は有料であるがこちらは無料であり、館内の写真撮影についても制限はなかった。資料数は多分木更津の方が充実しているが、料金設定と写真撮影は負けている。
 展示は房総の漁業に関わる文化や生活を紹介する事が目的であるが、平成22年4月に隣接する夕日桟橋に大型クルーズ船の「にっぽん丸」が着岸し、平成26年11月には渚の駅の中に商業施設棟がオープンして地場産食材を使用した食事や土産を購入できるようになり、さらに平成27年12月25日には「館山ふるさと大使」として館山に居住する芸能人の「さかなクン」を『渚の駅たてやま』の名誉駅長に就任てもらうことで「さかなクンギャラリー」を開設するなど、確実に進化を続けているところも素晴らしい。
 
 商業施設内に飲食店を設けながら、博物館の中には市内の飲食店へ誘致するブースを設けてある点も感心する。
 
 木更津市でも三井アウトレットパークの中で「うまいもんマップ」や「週末木更津計画」を配るスペースを設けたり、海ほたるではデジタルサイネージを利用したりと、取組は行われているが、博物館のような「教育施設」で対応していることは新鮮な感動であった。
 
 館山からの帰りに海の駅保田漁港へ立ち寄る。ばんやで食事を摂るためではなく、6月議会で三上議員が取り上げたフィッシャリーナを改めて確認するためである。
 
 船は係留するのではなく門型クレーンで陸揚げする形態をとっており、そのエリアは有刺鉄線を上部に設置したフェンスで区画されていた。しかし入口に「関係者以外進入禁止」と書かれておらず、入口にいた人も入って良いというので中に入って写真を撮らせていただく。
 設備はそれほど複雑な物ではなく、陸揚げされた船を牽引して所定の場所に移動するようだが、想像以上に多くのレジャーボートがあり、漁協の大きな収入になっているだろうと推察された。そのうち自治体の負担や経済効果等を知るために正式な視察を行いたいと考えながら帰路に着いた。
 
 これから各委員会や会派で遠方の自治体へ視察に出かける。それはそこでしか確認できないことがあるからなのだが、近隣の自治体で上手くやっている事も参考にしながら自治体運営は行いたいものだとまとめ、記載を終えたい。