ナイジェリアを学ぶ
2019/06/09記
 先月の23日にナイジェリア連邦共和国のモハンメド・ガナ・イサ大使を始めとする大使館の方々が木更津市役所を訪れ「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に出場するナイジェリア選手団の事前キャンプに関するナイジェリア連邦共和国と木更津市の覚書」の手交式が開催され、議長として立ち会った。
 イサ大使の挨拶の中で、ナイジェリアは多くの民族から成る国家であり、手交式の会場に来ている6人のナイジェリア人は全て別の民族で日常の言葉も違うという事が言われていた。北海道大学の博士課程を卒業された知日派の大使の前でナイジェリアの事を知らない無知さ加減が恥ずかしく思えていた。
 木更津市を事前キャンプの地に選んでいただいた彼の国のことを更に詳しく知らなければ失礼だと思いながら、週末に書店に立ち寄ると「物語ナイジェリアの歴史」(島田周平著:中公新書)を棚に発見して、発行日を見ると5月25日であった。何か運命的なことを感じて本を購入し、各地の総会への移動する車中や夜寝る前などに読み続け、6月4日に読み終えた。凄い国が木更津市を選んでくれた事に改めて気付かされた。
 
 ナイジェリアの面積は日本の約2.5倍であるがアフリカ大陸に占める割合は3%程度と特別広い国ではない。しかし人口は16%を占める1億8869万人(2018年)でありアフリカ大陸2位のエジプトの約2倍を占めている。さらに人口増加も続いており2050年にはアメリカ合衆国を抜いてインド・中国に次ぐ世界第3位(約4億1千万人)の人口大国になることが予想されている。現在日本国内にいるアフリカ人はナイジェリア人が最も多いようだ。
 経済規模もアフリカ1位であるが、G20には何故か経済規模で劣る南アフリカが選ばれている。そのような大国でありながら日本国内での知名度は低く、2018年の日本企業の現地駐在事務所の数は32社で南アフリカの354社の1/10程度しかないという事も本から知った。イサ大使が投資を呼びかけていた理由も腑に落ちる。
 
 ナイジェリアは西アフリカにおけるイギリスの重要な植民地であったが1960年に平和的に独立を果たした。国内は北部のイスラム教徒が主体であるフラニ人、教会による教育を受けてキリスト教徒が多い西部のヨルバ人と東部のイボ人を中心に数多くの民族が共通語である英語で国を統治してきたが、1967年に東部のイボ人がビアフラ国として独立を目指して内線が勃発し、収束後も民主政府の汚職や収賄と軍事クーデターが頻発し、近年では石油が生産されるニジェールデルタ解放運動や北部イスラム教過激派のボコ・ハラムといったテロリストの活動もあり、混乱が続き治安の悪い国のように私も思っていた。
 しかし、2000年以降のGDP伸び率でナイジェリアは世界の上位に位置しており、2019年2月23日に行われた選挙ではブハリ大統領が再選されるなど、民主主義が定着してきており、人口減少が進む日本にとって優秀な人材供給地になる事が予想される。従って、日本語学校を現地に建設して人材の準備を始めることが早急に必要になってくると個人的には思うのである。
 
 ナイジェリアの国章は、白いY字型の模様が描かれており、それはベヌエ川とニジェール川を表している。この川で北部と西部・東部が分かたれるのだが、多様性のある民族が豊かな農地と豊富な地下資源を利用して国民を育み、人口や経済だけでなく政治や文化の面でもアフリカの大国に成ると信じる。
 そしてその様に成長していく過程の中で、2020年に東京オリンピック・パラリンピックのキャンプ地として木更津市が繋がっていた記憶が誇らしく思えるときは遠くない未来に訪れるだろう。
 今後の良好な友好関係が続くこととナイジェリアの目を見張るような経済成長を願いながら、こんな記事を書いてみた。