台風15号が通過する
2019/09/11記
 木更津市に観測史上最大となる49.0m(請西に設置してあるアメダスが9日2:48に観測した値)の最大瞬間風速をもたらした台風15号は、その激しい強風によって多くの樹木をへし折り屋根瓦を飛ばしフェンスや塀をなぎ倒した。
 台風が通過して風も収まった頃、江川海岸に行ってみると公衆便所の瓦は飛び、海の家の屋根は抜け、舟は道路まで引きずられて、料金所は転倒させられていた。海岸線では遮るものがないのでアメダスの値以上に強い風が吹いていたのだろう。
 
 このような強風により送電線や電柱、更には送電鉄塔の損傷が関東一円で発生し、東京電力パワーグリッドの管内では東日本大震災以来となる規模の93万49百世帯(9日7:50時点)となる停電が発生し、11日16時の時点でも約42万世帯が未だに電気が届いていない状況に置かれている。木更津市内では金田東や吾妻、請西、八幡台等モザイク模様に停電範囲は残っている状況である。
 昨日の17時では約58万世帯の停電であったから一日で約16万世帯の停電が解消した事になり、これは東京電力以外からも多くの応援が駆けつけている成果とも考えられる。因みに我が家でも通電されたのは10日の20時を回り、9日の4時から続いた停電時間は40時間を超えることになった。電気は通じたものの、通信環境は未だに復旧せず、HPの更新は出来ない。
 
 台風の風は強烈であったが雨雲はコンパクトにまとまっていたので接近するまで雨も弱く、通過後は比較的早く回復した。強い雨が降ったものの継続時間が短く、市内でも富来田地区の一部でで土砂崩れは発生しているものの、災害の多くは倒木による通行止めという事であった。因みに土木課では今日までに246件の対応を行っており、総数は4百を越える見込みとのことである。
 道路を塞いでいる樹木を除去する建設業者も多くは国や県の要請で幹線道路優先に応援に行ってしまっており、市道は造園業者の協力を得ながら対応している。我が家でも高野槇が倒れているが、災害が一段落して、業者の手が空くまで放置しようと考えている。
 直接の台風による被害は大多喜町で死亡者が出ているものの、夜中の通過なので堅く閉じた自宅に居たためか奇跡的に少なく、木更津市内では割れたガラスで怪我をした子どもの情報程度しか届いていない。市原市ではゴルフ場の防球ネットの鉄塔が倒壊したものの、それで潰された家屋で死者が出なかったのは奇跡と言ってもよかろう。つまり今回の台風は威力が有ったものの人的被害は比較的軽微に収まっているのである。
 
 しかしながら長期間の停電が続く事により自家発電の燃料が無くなってしまい、病院でも患者を受け持つ事の出来ない施設が生じてくる。新聞には君津市の鈴木病院から99人の入院患者を君津中央病院が受け入れたものの、全ての対応が出来ずに陸上自衛隊の大型ヘリで木更津基地から下総基地に移送したという記事があった。エアコンが停止した病室で体調が悪化した患者も多いと聞く。今後は基幹病院には強力な自家発電所を設けることを検討しなければならないのかも知れない。
 さらに、水道施設も浄水やポンプに多大の電力を消費するため、県内の多くで断水が発生しているようだ。電気が通じないことでエアコンが稼働できず、水も充分に手に入れられない状況に猛暑が襲いかかり、南房総市では熱中症で亡くなった方も出ている状況である。
 
 停電のため学校は臨時休業となり、内房線も台風通過から2日以上経っても木更津以内が運転されず、久留里線も運休している。風が収まったのでアクアラインを通行出来るように成ったが、高速バスも一部の便は運休しており、とても混雑しているようだ。
 信号機も沈黙してしまい、交差点の処理容量が一気に低下した結果、道路の多くで交通渋滞が発生して物資の流通が滞り、店舗でも空調やレジが使用できなくなったことから台風被害を免れながらも臨時休業を余儀なくされている所がとても多い。
 ガソリンスタンドも営業店舗が少なく、不安に襲われた人々も加わり長蛇の列に成っているようだ。精油所の被害は発生していないので電気と物流が復帰すれば簡単に解消されることなのに、その情報が届かず、目途が立たないことで早い者勝ちという気持ちになるのであろう。
 オール電化の家庭では調理をすることもまま成らず、外に食事に行こうにも店はなく、たまに有っても食料品はないという状況となっている。全国からの援助が欲しい、とか自衛隊の支援をという声も聞こえてくるが、多くの家庭は電気さえ復旧すれば殆どが解決する問題なのである。
 もちろん日本製鐵の煙突倒壊を始め、看板の損傷や生産設備の破損などで企業には多額の損出が出ているものも多く、特に第一次産業では資金力が弱い者が多いので、公的に支えないと廃業する者も出てくるかも知れない。
 
 農家の多くは強風でビニールハウスが潰れ、農作物が倒されている状況で、農業従事者の高齢化と農村の人口減少により復旧の人手不足が生じている業態も多い。その為にボランティアセンターを開設し、都内や神奈川県の応援を受けようと市役所に伝えてきた。これは将来の大規模災害に向けたボランティアセンターの運営訓練にも成るので一石二鳥である。
 多くの被災住宅は屋根や外壁の破損なので、片付けのボランティアではなく、修理をする職人が圧倒的に不足している。従って職人が来るまでの間の雨対策としてブルーシートが求められているが、これも店頭から消えてしまっているようだ。君津の知人はアクアラインを渡って川崎で給油しながら物資を調達してきたようだが、対岸は普通に物が売られており、その差に愕然としたという。
 
 今回の災害で解ったことは、3日分の水や食糧の備蓄や停電の中で情報を得る防災ラジオが無い世帯が多いこと、東京電力の情報が市役所に届く体制が無いばかりか防災拠点に優先的に電力を回す計画がされていないこと、防災無線の中には停電で沈黙してしまう物があったことは論外としても情報伝達の手段や伝え方に課題が多かったこと、施設によっては非常用発電の為の油の備蓄が重要なこと等、私の周りでも多くの問題が見えてきた。
 市役所では職員配置や避難所の運営(10日の15:30で23人が清見台・文京・岩根公民館に避難しており、最大42人が避難したようである)、情報共有の在り方など多くの課題も見えている事だろう。災害対応が一段落したら職員全体から意見集約する事が次回に繋がることと思う。
 
 今回の災害で大きな授業料を払ったことになるが、反省点を改善し、度重なる天災にも耐えられる都市にするため、市民も市役所も次回に備えることが皆に認識される機会になれば、台風に意義も有ったのではと考えている。