新生活様式に思う
2020/06/01記
 6月に入り今日から東京では感染症対策で要請していた営業自粛を多くの業種で解除し、日常を取り戻すレベルを上げようとしている。既に神奈川県では25日に解除された昨日から全ての規制要請を一斉に解除している。諸外国から日本の感染症対策が成功したという評価を受けたという報道が多く流れたためか、この週末の人出は各地で多かったようである。
 
 一方、福岡県北九州市では4月30日から5月22日まで23日間に589件のPCR検査を実施したが感染者が確認されていなかったものの、5月23日に3人が陽性と判定された以降、連続して感染者が判明し、昨日も128件の検査によって12人の感染が明らかになった。この9日間で696件の検査を行い97人の感染者が増加するという危機的な状況となっている。
 報道によれば、北九州市では院内感染も生じているものの、多くは地域も職業も年齢も共通性が少ない人達の間で経路不明なまま感染が拡大しているということである。
 房総半島でも長期間新規感染者が確認されていない状況が続いているが、北九州の事例はそれが安心できる根拠にはならないことを示している。福岡県の緊急事態宣言が5月14日に解除されたので、その1週間後から増加している状況を当地にあてはめると、今週の中旬以降に陽性が判明するように成ると思われるので、これから一週間の数値の推移は気になるところである。
 
 しかし、北九州市と同時に解除になった39県の中には仙台市、名古屋市、広島市が有り、同じ福岡県内には福岡市といった地域の中心で大規模な繁華街が有る政令指定都市も有るが、それらの都市では感染の拡大は今の所見られていない。今の所、北九州市だけの局所的な事態である。
 安心は出来ないものの、感染が拡大しているという状況ではないと判断し、地域の経済を支援して廃業による失業の増加を防ぐためにも「新しい生活様式」を考えながら濃厚接触が無いように人と出会い、混雑していない観光地にも出かけ、飲食を伴うような生活を進めるべきと私も考えている。
 
 さて、その新しい生活様式であるが、密を避けるため席が間引かれ間隔が保たれているが、これが「日常」になると、その状況を前提とした価格体制に移行することが心配になっている。
 オフィスでは半分をテレワークに変えれば空間を疎にしながら生産性を維持することが可能かもしれない。生産現場では機械化を導入することで労働者を減らして対応は可能かもしれない。銀行の窓口業務がATMの導入によって仕事が減少したようにIT化の推進で多くの対人応対業務も減らすことが可能だろう。
 しかし、公共交通機関は満車の定員が下がるとなると採算をとるために運賃を上げざるを得なくなるだろうから自転車通勤が増えるかも知れない。映画館や劇場では満席でも今までの30%程度の人数に成ってしまうと思われるが価格転嫁は難しいと想像されるので余程合理化を進めないと採算は合わないだろうから地方の映画館の倒産が続くと思われる。
 飲食店でも客数が減ることでスタッフの数や食材費は減らせるとしても家賃や光熱水費等の固定費は削減できないので客単価を上げるか、より一層の長時間営業で客数を増やすか、デリバリーを継続して店舗以外での販売で収益を増やすことを強いられるだろう。
 
 また、日本国内や東アジアでは感染の封じ込めに成功しつつあるものの、全世界ではついに累計で600万人を越える感染者が判明し、アメリカ合衆国だけで177万人を突破した。その地でG7を開催すると表明しているがドイツが不参加を表明するなど国境の壁は高くなっている。この全世界的鎖国のために多くの航空会社が経営危機に陥り倒産している会社も多い。
 訪日外国人に支えられてきた国内産業の多くも深刻な状況で、木更津市でもクルーズ船の寄港や国際会議の誘致を進めてきた政策を暫く停めるしか無いだろう。来年に延期されたオリンピックを前に木更津でキャンプを予定しているナイジェリア連邦共和国との付き合いも検討する必要があるだろう。
 さらには、昨年までは国内旅行並みに容易に行けた外国へ行くことが困難になることで精神的にも遠くなり、多様性を進めていた政策が純血主義になってしまうことも危惧される。人手不足が深刻な介護・建設・農業等の現場に外国人材を活用しようという計画も当面は進まなくなるが、それらの業界の状況改善は容易に進まないだろう。諸外国との往来が困難になる日常が続くとすれば悲しく苦しいことである。
 
 新しい生活様式という言葉が今後の社会に与える影響が見えない中で新しい月が始まっている。ブルーインパルスの飛行や花火師による全国一斉花火等の明るい話題の裏に今後の変化が予測しきれない闇が広がっている。手探りで新しい社会を造って行くしかないのだろうと覚悟しながら今回の記事を記載した。