令和2年度が終わる
2021/04/01記
 昨日で感染症対策に明け暮れた令和2年度が終了した。
 
 昨年3月19日の予算審査特別委員会の閉会にあたり「今回の審議に当たりまして予算書をつくった段階で新型コロナウイルスの対策が盛り込まれておりません。景気の後退による税収の変更等も危惧されるとこでございます。この予算を年度がかわりましたら税収の見込み等で速やかな補正を行っていただき、市民のため対策を立てていただきたいと思います」と挨拶させていただいたが、前例を見ないほど補正が続き最終的には11回となった。
 
 感染対策のために移動が自粛され、令和元年度中に延べ26日に渡った議長としての対外活動も令和2年度中には9日に激減し、そのうち2回はZoomによるリモート会議で、リアルで顔を合わせる機会が減っている。房総半島の他市の議長が交代した挨拶文は届くのだが顔を合わせる事もなく、数年後には同期の議長が誰だったか思い出せない結果に成りそうである。
 市内でのイベントや民間の行事も多くが中止となったので週末の公務も激減した。議長交際費の設定がされてから、使用額の最低記録となったと思われる一年である。臨時議会も多く、様々な対策を次々に検討せねばならなかった年では有ったが、議会や行政の内側での行為が殆どで、何か空白感の漂う一年であった。
 
 委員会や会派による視察も全て停止され、他の先進自治体で行われている取組は自治体のHPや報道で知ることに留まり、現場で困ったことや隠れた課題などのように生の声を聴く機会が減っている。積極的にアンテナを張り調査を行えば行政当局以外から発信された情報も拾うことが出来るが、やはり諸事情で公開されていない情報の中にヒントが多いことも経験上解っているので、この様な状況が続くことは残念である。
 個人的にはJHの木更津工事事務所が昨年度限りで廃止されたことも残念である。大学を卒業して4年間お世話になった組織で、神戸で中国自動車道を管理していた頃や上田で一緒に上信越道を設計していた頃の同僚も転勤してきて懇親を深めた想い出がある場所であった。廃止前に一度顔を出せば良かったと思うが後の祭りである。
 
 木更津市内の業者がコロナ関連倒産の先駆けとなり幾つかの店が扉を閉めてしまった。それでも年度内に新たに開店するものもあり、多くの店舗は苦しい中で踏み止まっている。少なくともバブル崩壊後の負債を抱えて行方不明になる者や自ら命を絶つような者が出るような事態に成っていない事は助かっている。
 昨日までに市内の累計感染者数は455人となっているものの、木更津市の人口から見れば0.3%で留まっている。亡くなられた方の話しも数えるほどしか聴かず、欧米のように感染で亡くなった方を埋葬することが追いつかないような事態に追い込まれなかっただけでも幸せだったと思うべきだろう。
 それでも厚生省の23人の送別会に続き、千葉県職員4人の宴席がマスコミで大きく批判されている状況を見ると、例え午後9時前に解散するような少人数の宴席であってもどの様に批判されるか解らないと考える人達が過敏なほど自粛を行うものと思われ、景気は当面回復しないように感じている。
 
 本来で有れば今上天皇の即位が華やかに祝われ、夏には世界中の人々がオリンピックのために訪日し、震災から10年となる東北には多くの観光客が溢れるという明るい1年が過ごされる世界が今の世界とは別に存在しているのだろう。SFではパラレルワールドという概念で語られるその様な世界の中で、忙しくも充実した日々を送っている自分を想像してみることも楽しい。
 
 今日から始まる令和3年度は感染症を新しい生活様式とワクチン押さえつける闘いの年になるだろう。ウイルスの側でも生き残りをかけて新たな変異種を次々に作り出して闘いは長引くかも知れない。願わくば通常のコロナウイルスのように咳と鼻水が出るだけのように弱毒化する方向に変異して人々の間に広まり、自然と免疫が出来て何事も無かったかのような世界を取り戻して欲しい。
 
 年度末で退職や移動する多くのお世話になった方々を送別する機会も与えられない世界の中で、この様な事を考えていた。