戦後77年に思う
2022/08/09記
 本日は米軍が長崎に原子爆弾を投下して77年目となる日である。非戦闘員である長崎市の市民に対して、広島で威力を確認済みの大量破壊兵器を使用したことは明確な国際法違反であり、日本の軍人や政治家が東京裁判で平和に対する罪が問われたように、本来で有れば原爆使用を許可したトルーマンも平和に対する罪で捌かれるべきであった。
 しかし、投下を決定したものが罪に問われる事がなかったとはいえ広島と長崎の悲劇は世界に発信され、ナガサキの悲劇以降は今日まで77年間は戦争を解決する手段として使用されなかった。原子爆弾という兵器は人類に対する犯罪であるという意識が多くの犠牲の上に出来上がったのであろう。
 
 原爆から77年が経過し当時小学生だった被爆者も日本人の平均寿命を超え、戦争を経験したものが減少している。自民党の戦中派であった代議士の多くは、日本が二度と戦争をしてはいけないと考えていたが、大多数は引退し多くは鬼籍には入られた。
 世界の指導者の中には東西冷戦は経験しているものは多いものの、第二次世界大戦を経験しているものは殆ど居なくなっている。ベルリンの壁が崩壊したのは1989年であるから、35歳より若い人は歴史として知っているだけの事になり、英国の首相候補が40代である事を考えると遠くない未来に東西冷戦やソビエト連邦を知らない国家指導者世代も増えてくるだろう。
 
 台湾に米下院議長が訪問したことを受けて中国は軍事演習という威嚇を行っている。ロシアがウクライナに侵攻したのも軍事演習という名目であった。1953年6月生まれの習近平主席と1952年10月生まれのプーチン大統領は物心が付いた頃には戦後10年を経過しており第二次世界大戦は私と同様に歴史であっただろう。
 両者とも中越戦争(1979)やアフガン進行(1979-1989)など国家が軍事力を行使しながら思いを遂げられなかった姿を見ているものの、双方とも第二次世界大戦のように自国内で戦闘が行われて焦土になった訳ではないので、戦闘に対する嫌悪感がないのかも知れない。
 核兵器については原爆実験で威力だけが強調され、それが人類の上に落ちたときにどの様な悲劇が生じるかを感覚で理解できていない場合は、戦闘だけに留まらず核兵器に対する嫌悪感も働かないことが想像される。77年間に渡って使用されなかった核兵器が、実践で使用される日が来る恐怖を、私は想像する。
 
 台湾やウクライナが核ミサイルを保有し、北京やモスクワに照準を合わせていた場合、今回のような軍事演習は起きなかったのだろうか。少なくとも核の抑止力を信じて兵器開発に勤しむ者が北朝鮮で指導者をしている1984年生まれの金正恩である。自らを守るために開発した物を他国への威嚇のために使おうとするリスクが有ると解りながら、世界は経済制裁しか執ることが出来ずに居る。数年後にはクリミア半島割譲を認めたことが今のウクライナ侵攻に繋がったと後悔したように、台湾周辺での軍事演習や北朝鮮の核実験を止めなかったことが分岐点だったと後悔しないことを願う。
 
 一週間後には終戦記念日が訪れる。千島列島や樺太では、日本のポツダム宣言受諾以降も戦艦ミズーリ号での調印式までの約3週間に渡り戦闘が続けられたことを忘れては成らないだろう。個人的にはナガサキの原爆投下と前日のソ連参戦をもって実質的に大日本帝国の戦闘継続意識は終わっていると思うが、最前線ではまだ一月近く戦闘行為は続くのである。
 77年前の終戦に思いを馳せながら、1945年の終戦から77年前は1868年の明治維新であった事に気がつく。日本は明治維新後に戊辰戦争や内乱とも言うべき西南戦争を経て、日清戦争・日露戦争・第一世界大戦・日中戦争・太平洋戦争と戦争の77年を過ごしていた。同じ長さだけ戦争がない日本が過ぎたことになる。
 現在進行中のウクライナでの戦い、ミャンマーやアフガニスタンでの内戦、今後危惧される台湾海峡有事などを想像しながら、夏を迎える。