湊まつりを考える
2023/08/16記
 木更津の夏を象徴し、終わると秋の到来を感じさせる港まつりが4年ぶりに開催され、修祓式など一部の行事は台風接近を前提に中止されたが、メインのやっさいもっさい踊りと花火大会は開催され、花火は直前の通り雨で若干スケジュールが遅れたものの無事に終了した。大勢の人が集まっているので全てが順調に進んだ訳ではなく、例年のように祭りの後のゴミは多く残されたが回を重ねる度に参加者の行儀が良くなっているように感じている。
 これはサッカーの日本代表サポーターがゴミを綺麗に片づけて帰る映像や、未曾有の被害にあった三陸の人たちが秩序だった行動をとったことなどで日本人としての規範意識が高まってるのではないかと勝手に推測している。今回の花火を一緒に見た埼玉県在住の義弟が、有料観覧席で勝手に椅子を動かして楽しんでいる人の少なさと、それを行っている人が外観上は欧米系の外国人だったと言っていたのでそんなことを感じている。
 
 もちろん、日本人にもダメな奴は居て、人目に付かない路地でごみを捨てて帰っているものも多かったが、それを片づけるために今朝早くの鳥居崎公園に集まった若者の数には驚かされた。
  清掃活動に参加するとラズポイントを100ほど得られるが、1時間ほどの作業に対して考えると最低賃金の10%しかないのでそれが目的ではないだろう。朝6時50分の集合であるにも関わらず、多くの若者が集まっている事に対しては、自分事として捉えてくれる市民が増えてきているのだと嬉しくなる状況である。
 
 個人的には今年の夏に娘を連れて八戸の三社祭と青森のねぶたを見学に行った。どちらも関東では目にすることの出来ないようなスケールの祭で、それに費やす労力や資金、練習時間を考えると頭が下がる思いであるが、さらに思うことは、このような大きな祭を維持するためには小さな自治会の単位でなく、多くの自治会や企業が一つの祭りを行うという方向に向かって進んでいるということの素晴らしさである。八戸の三社祭は文字で示すように「おがみ神社」「長者山新羅神社」「神明宮」という別の神社も一緒になっているように、神社と氏子だって足並みを揃えている。
 
 木更津でも八剱八幡神社の祭りは旧木更津町を構成する多くの町内によって営まれているが、私のように旧岩根村で別の氏神を抱えているものにとっては見学する対象でしかなく、全体で参加できる祭の素晴らしさを東北で感じていた。さらにあえて言えば私の地域で昔から住んでいる氏子だけで祭を営んできたことが通例だったから、神社の近くに住む移住者には全く関係ない祭であり、数年前に運営が難しくなって中止となったが、神社の氏子と神道には関係ない祭の参加者の在り方も考え続けている状況である。
 もちろん、木更津の港まつりがまさにその機能を果たしており、スポンサーとして参加できるものの、当日は見学するだけの花火大会を補完するように、やっさいもっさい踊りに参加することで夏の一体感を感じることが出来るということは評価したい。可能で有れば青森のねぶた祭のように「飛び入り参加」を自由にすることで見学者が当事者に変わることが出来ると「祭を自分事」として感じられる市民がより増えていくと思うのであるが、一方で過去に多くのいざこざやトラブルがあったのも記憶している。やんちゃな若者が多いのも木更津らしいと思えるのは何回も祭を見てきたからであって、第一印象で嫌いになる祭は辞めるべきだろう。
 
 やっさいもっさい踊りでも練習があり、統一したユニホームを造ることなどに資金を使っていることは理解するが、青森県八戸市や青森市での巨大で精巧な山車を半年近い時間を掛けて造り、僅かな期間の祭に投入する感覚は、現在の木更津市では到達できる領域ではないように感じてもいる。それが出来るのは青森県だけという状況の凄さも感じて来た。
 
八戸市三社祭(8/3) 青森ねぶた祭(8/4)
 
 どちらも木更津市より人口の多い市であるが、その人口比率以上に祭の規模も参加人数も多く、笛や太鼓を奏でられる市民の多さには圧倒されるばかりである。横笛を吹ける人とバイオリンを弾ける人など比べるべきではないことは百も承知であるが、夏には横笛を吹ける集団が通り抜ける姿が素晴らしい。
 
 人が成長する課程に祭は必ずしも必要ではなく、やっさいもっさいの踊り方を覚える閑が有れば英単語の一つでも覚えさせたいという考え方を否定するつもりはない。故郷の記憶や同級生との思いでも必要ないという考えがあることも理解できる。それでも敢えて言いたいのは故郷があることによる心の落ち着きと個性の存在を確立することである。
 私も高校を卒業してからの8年間で、群馬県前橋市・桐生市・千葉県船橋市・大阪府吹田市・兵庫県神戸市・長野県上田市と激しく引越を繰り返す中で、地域の強いカラーを持つ人に対峙する自分のカラーがあったことを有り難く思ったことを思い出す。
 
 為政者の一員としては木更津市の流れを感じて自ら市を良い方向に導こうと努力し、必要と感じたら市議会議員や市長に立候補する人員が多い街を造りたいと思っている。渡辺市政が目指す「シビックプライド」もその方向性を目指しているおり、単なる郷土愛だけでなく自らの街を良くしていこうと働きかける市民の醸成を理想としており、私もその考え方に同感である。
 今日の清掃ボランティアに参加した若者中から4年後の同僚が出てくると素晴らしいと感じている。木更津のためにと動き続けた渡辺市長の想いが通じてこの参加者になったのかもと、ゴミ拾いをしながら市長に話していた。
 
 なお昨日花火を見に来た義弟は、方々に配置されているパッカー車に感心していた。埼玉県の祭では各所にゴミ箱を設けているが、ゴミ箱は人混みで見えなくなるので車の存在感が目立つだけでなく焼却場に直行する車に捨てる合理性まで考えた人が凄い、としきりに褒めていた。
 残念ながら誰が考えたのかは解らないが、そんな事でも評価されることは嬉しいと思いながら、今回の記載を終える。 
 
 追記 8月17日に来場者数の発表があった
日付 項目 2023年 2019年 増減 増減率
8月14日 来場者 49,000 45,000 4,000 108.9%
参加連数 64 82 -18 78.0%
参加者数 3,094 4,311 -1,217 71.8%
8月15日 来場者 279,000 255,000 24,000 109.4%
合計 来場者 328,000 300,000 28,000 109.3%
 やっさいもっさいの踊り手は減っているが、それ以外は増えているが感覚的には9.3%程度の増加では無かったように思う。