臨時情報を考える | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2024/08/11記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月8日(木)16時42分に発生したM7.1(Mw7.0)の日向灘の地震に関し、気象庁は同日19時15分に南海トラフ地震臨時情報(以下「臨時情報」と記す)を発表した。「新たな大規模地震が発生する可能性は平常時と比べると高まっていますが、特定の期間中に大規模地震が必ず発生するということをお知らせするものではありません」とか「Mw7.0以上の地震発生後、7日以内にMw8クラス以上(Mw7.8以上)の大規模地震が発生するのは、数百回に1回程度です。」という補足がついているものの新幹線は速度を落として運行し震源域にある多くの海水浴場が閉鎖されるなど万が一に備えた対策が各地や各機関で講じられている。 さらに翌日の19時57分に発生したM5.3の神奈川県西部では震度5弱が観測されたことで特に南関東の住民の不安は深まったように感じている。神奈川県西部は相模トラフの領域であり南海トラフとの関連性は薄いが震源域は関東大震災の震央に近く、様々なことが連動する可能性を考えると不安は増すばかりである。 数百回に1回を具体的に示すと1437回に6回で、これは1904年から2014年までの110年間に観測された1437件の大規模地震のうち東日本大震災を含む6件で一週間以内にM7クラスの余震が起きているという事例による。気象庁には東日本大震災の2日目に発生したM7.3の地震が余震だと見抜けなかった後悔が残っているため、今回の臨時情報発表に至ったと推察している。 臨時情報が発令される中で甲子園に向かい、万が一の災害で帰宅が遅れると12日の新盆に間に合わなくなることも重要であるが自分がいないことで何らかの対応が遅れて後悔することになることを避けたいという思いがあり、草刈議員と君津の2人の議員と一緒に行く予定であった応援を木更津の2人は急遽取りやめて自宅でテレビ観戦とした。なお、君津の2人は臨時情報の発令で新幹線の指定席にキャンセルが出たといって朝一番で向かったようだ。 NHKの画面に臨時情報が発令中だと流れ続ける中で試合は進み、木更津総合と神村学園の取ったら取り返す試合は素晴らしく、最後の3連続代打安打が有ったものの惜しくも敗れた選手や学校関係者には感謝しつつも地震が起きずに良かったと思う。 今回の臨時情報が対象とする南海トラフ地震について、政府の地震調査委員会は平成25年3月18日にM8から9の巨大地震が今後30年以内に「70%から80%」の確率で発生すると予測し、南海だけでなく東南海や東海までの広い範囲が連動して発生した被害は東日本大震災を大きく上回ると想定している。乾燥した冬の夜の風が強い日に発生した場合は津波被害に火災被害が加わり最悪の想定では32万人を超える死者と国家予算の2倍以上にあたる総額220兆3,000億円に上る経済被害が発生するとしている。 その後の対策が進んだことを受け令和元年6月に被害が少なくなるように修正された報告書が発表されたが、それでも国家存亡級の大被害になることに変わりはない。さらに言えば江戸時代の宝永地震のように地震後49日目に噴火した富士山による降灰被害が加えられていないように、本当に発生してしまうとどこまで連鎖的に被害が拡大していくのか、悪い方向に思いを巡らせると恐怖である。 江戸時代以降の東海から南海トラフに関しての地震の記録は下表のとおりである。 |
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※1 宝永や慶長の震源域には諸説あり、中には慶長の地震は南海プレート境界ではないとする意見も聞かれる。 ※2 安政南海地震は安政東海地震の約32時間後に発生したと記録されている。 上表のように100〜150年周期で海溝型大規模地震が発生しているのであるが東海地震の範囲では安政東海地震以降の歪が蓄積されており、1978年制定の大規模地震対策特別措置法で重点地域に指定され観測の強化が行われてきた。しかし安政東海地震から昭和東南海地震の間に要した90年が近づいてくる中で発生した東日本大震災で列島全体に歪が溜まり、より規模が大きくなると想定される東南海や南海地震が現在は警戒すべき地震の主流になっている。 高知や宮崎といった太平洋に面した県庁所在地だけでなく大阪や名古屋といった湾奥に位置する巨大都市にも津波被害が発生し西日本経済が停止するとサプライチェーンが破綻して世界の生産が止まる恐れが高い。港湾や発電所は海岸に面しているので被害は大きくなるだろうし、比較的人口が少ない東北の太平洋岸と違い東海や関西地方の復旧のためには海外の手を借りざるを得なくなるだろうと想定している。 戦争を知らずに生まれた私は1995年の正月まで日常は緩やかに続いていくものだと思っていた。30歳も終わろうとする頃に発生した阪神大震災で日常の危うさを知り、2011年の東日本大震災、2020年のコロナ禍と、様々に日常が断ち切られる状況を感じてきてしまった。あのような悲劇はもう見たくないと思いながら、確実に近づく南海トラフ地震の気配に背を向けるわけにはいかないと真夏の暑さの中で考えているのである。 |