戦没者を追悼する
2024/10/25記
 今日は福祉会館で木更津市戦没者追悼式が営まれ、木更津市議会からは私を含め20人の議員が参列させていただいた。17年前に議員に成ってから、コロナ蔓延の年には中断したものの、ほぼ全ての追悼式に参列させていただき、議長の時には来賓として「追悼のことば」も述べさせていただいた。
 
 
 17年前は「先の大戦」の終戦から62年であったので遺族の参列者が多かったのであるが年々減少を続けており、今回は富来田地区からの参列者がいなかったことに気が付いた。
 因みに今日から80年前はレイテ沖海戦で帝国海軍が事実上壊滅してフィリピンをアメリカに奪還されるなか初めて組織的な神風航空隊が出撃した日である。日米合わせて1万人以上が亡くなる激戦の日である。既に帝国陸軍はインパール作戦で3万人の兵力を失っており、欧州でも既にイタリアは降伏しており、連合国の巻き返しで2か月前にパリが解放され、ドイツと日本の敗戦は明確であった。イタリアのように早期に降伏していれば双方とも民間人の死傷者は圧倒的に少なく、ヒロシマとナガサキの悲劇は防げたことは事実である。しかし、私が当時の大日本帝国に住んでいたら周辺の空気に沿って徹底抗戦を主張していたかも知れない。
 
 一般的に「戦没者」と言えば第二次大戦によって亡くなられた方を示しているが、下表に示すように日清戦争以降は10年ごとにの大きな戦争を繰り返してきた。戦場は主に朝鮮半島や中国大陸であったため民間人の死亡者は少なかったものの、多くの軍人が異国の地で亡くなってきた。
 
区分 開戦 終戦 経過日数
日清戦争 1894.07.25 1895.04.17 129年06ヶ月
日露戦争 1904.02.10 1905.06.12 119年04ヶ月
第一世界大戦 1914.08.23 1918.11.11 105年11ヶ月
日中戦争 1937.07.07 1945.08.15 79年02ヶ月
太平洋戦争 1941.12.08
 開戦と終戦の日時については様々な説がある中で上表は私が選定した日である。太平洋戦争の終結は降伏文書に調印した日であるとしてソビエトとロシアは8月15日から9月2日までに占拠した千島列島での戦闘を正当化している。
 
 第一次大戦に参戦した9年後の1923年には関東大震災が発生している。戦争によらない天災で大きな被害が発生しているが、第一次大戦による欧州の疲弊と復興に伴う特需で日本は好景気に沸き、100年前は大正デモクラシーが進んでいる頃である。普通選挙も行われるようになり、世界との調和の元に繁栄が続けば次の大戦に繋がらなかったと思うが、一方で欧米と日中を除く世界の大半は植民地として国家を持たない状況だった。100年前の平和は植民地の人々にとっては苦痛であり、その世界を変えるために戦争は引き続き発生することになったであろう。
 
 戦場で亡くなった軍人は靖国神社に祭られるが、中国にとっては国土を蹂躙したものであるので不快に思う気持ちは理解できる。しかし国策に基づき戦地で亡くなられた兵士を国家として追悼することは国の責務だと思うので、私は靖国神社を尊重する。
 本日の戦没者追悼式は宗教行事として行われていないため、献花を行っても神道の参拝形式も取らないし、仏教のように数珠を持つことも無い。白木の柱を依り代に見立てていることは偶像崇拝を禁止するイスラム教徒などにはどの様に受け止められているかは解らない。献花を認めない宗教が現れて異論を申し立てた場合はどうなるのだろう。亡くなられた方を追悼するということは基本的に宗教的行事であるため、全ての既存宗教からの中立を貫くことは難しいだろう。
 
 上表で日中戦争と太平洋戦争として記載している「先の大戦」であるが当時の日本では大東亜戦争と呼称していた。戦後GHQによって使用禁止となり、サンフランシスコ講和条約以上は禁止が解かれても戦前の史観に繋がると思い使用を躊躇う傾向が大きい。第二次世界大戦と限定すると日中戦争の期間が抜け落ちるので適当ではないが、あれほど多くの悲劇が発生した戦いを表す言葉が無いことが私は戦没者に申し訳なく思っている。
 
 世界に目を広げれば、ロシアはウクライナを侵略し、イスラエルはパレスチナを蹂躙している。アメリカも日本にとっての「先の大戦」以降、朝鮮半島・ベトナム・ペルシャ湾岸等で多くの戦争を行い多くの兵士を失い、その数倍の民間人を死に至らしめてきた。
 戦前は日本の一部であった韓国もベトナム戦争に従軍しているし、北朝鮮はウクライナの戦場に軍隊を派遣したようだ。台湾には大陸で日本と戦った国民党が共産党に敗れて逃げ込み現在に至っている。欧州で戦勝国となったイギリス・フランス・オランダ等は植民地の独立運動を鎮圧するために軍を派遣し敗退を重ねた。
 日本の自衛隊も掃海艇の派遣や治安維持部隊の駐屯は行っているものの「先の大戦」以降、およそ80年に渡り戦没者を出していない状況が続いていることは誇らしいことだと思う。
 
 戦没者追悼式も遺族が孫の世代になる頃には取りやめになるかも知れないが、日本が追悼する戦没者が何時までも「先の大戦」であり続け、新たな追悼の対象者が発生しないことを願いながらこの様な文章を深夜に記載している。