民主主義と情報化
2024/11/20記
 昨日のニュースで香港の高等法院は立法会選挙に先立ち民主派が行った予備選が、民主派候補が過半数を得ることを目指して政府予算案の否決や行政長官の辞任を求めようとした「香港政府の法執行への重大な妨害」で国安法の国家政権転覆罪に当たるとし、45人に禁錮10年〜4年2月の判決が出たことを伝えていた。
 予備選を企画した香港大の元准教授が首謀者とみなされて最長の10年、他にも立法会選に立候補を目指した多くの民主派政党の関係者が逮捕され、選挙で予算や人事に対する意思表明を行おうとすることが犯罪であると決めたことに、改めて香港の民主化の終焉を感じさせた。
 
 翻ってアメリカでは大統領経験者として初めて訴追を受けたトランプ大統領を次期大統領として選出し、兵庫県では職員に対するハラスメントで議会の百条委員会に掛けられ議会が全会一致で辞職勧告を決議した斉藤知事を再び知事に選ぶなど、形式的には民主主義が正常に保たれていると胸を張るべきかも知れない。
 
 それでも4年前の選挙の結果、不正が有ったと主張して民主党の勝利を認めない暴徒が国会議事堂を襲撃し、兵庫県知事選挙では百条委員会で知事を追求した竹内県議が自宅への嫌がらせの電話などで家族が耐えきれなくなっているという理由により議員辞職を行うに至り、我々の民主主義も大丈夫なのかと不安になっている。
 
 たまたま昨日読み終えた「デマ・陰謀論・カルト(新潮新書・著者:物江潤)」にスマホ教という興味深い分析が示されていた。スマホやネットの世界では既存のメディアが事実確認を繰り返して伝える情報だけでなく、偏狭な視野で独断で提供される情報も溢れかえっており、自分が興味があると思って調べたテーマに近い情報は検索エンジンのアルゴリズムに基づき次々に提供される。
 その結果、正しくなくても膨大な情報が押し寄せてそれが正しいと思えてしまうし、その信じた結果が自分の琴線に触れて確信に繋がれば、正義の体現者として行動してしまうようになる。その結果、国会議事堂も襲撃するし百条委員会の議員にも嫌がらせを行うようになるのだろう。
 
 民主主義とは相手の発言内容や立場が違っても発言の機会を与えることと、発言を委縮させるような状況を造らないように尊重することであると思う。しかし最近の状況は、自らが信じ支えようとする対象以外は全てが悪で、攻撃しても良い存在に成ってしまっているのは悲しいことである。
 ネットが発達する前にも、1970年代の学生運動の末期には運動方針を巡る内ゲバがあり粛清という殺人事件も多発した。1990年代にはオウム真理教のように高等教育を受けてきたエリートたちでもサリンで市民を殺害する状況に踏み出してしまったものもいたことを考えると情報化だけが問題だと思えないが、今回の兵庫県知事選のように短期間で爆発的に増大する現象は情報化社会の到来が無くては考えられない。
 
 兵庫県の状況は単純に発生したものではなく、県知事時代に進めた行政改革が旧守派の逆鱗に触れて虐められているという構図を描いた戦略があったことが前提であろう。私も行政改革の進展は評価しているしその意味では再選も否定しないが、有りもしないパワハラを旧守派が捏造しているというように現実を否定する世界観を造ってしまう状況にジャンプした状況に、それは正しくないと否定しなかった人が少ないことに驚かされてるのである。
 それを加速させたのが、目立つことが広告料収入につながるN党の立花党首で、兵庫県知事選挙に立候補しながら斉藤前知事を応援し、百条委員会の奥谷委員長の自宅前に街宣車を停め「出てこい」と脅迫したとか、脅迫などしていないので名誉棄損だとかという状況に成っている。そのことだけで、冷静に知事選を行える状況に無かったことが想像できる。
 
 信じたいものを信じるのは自由だと認めてきた世の中が正しい状況だったのか、立ち止まって考える必要がある様に思う。私は議員になる前からAという意見が寄せられればAには反対という主張も聞くようにしてきたし、可能な限りニュートラルな状況から判断できるよう情報収集にも努めてきたつもりである。
 しかしながら、その様な努力をしてこなかった大多数の兵庫県民が知事は改革を妨げる勢力から虐められているので皆で助けなければという使命感に駆られえてしまうことや、民主党では中南米からの移民が増えて仕事が奪われてしまうので共和党の応援をっしなければと思うアメリカ人が存在してしまうことは個人のレベルでは防ぐことが出来ない。
 
 このままでは民主主義がダメになる。より良い社会を次世代に伝えるためになにをするべきかと考えながら、せめて木更津市の民主主義を守りたいと思っているのである。