穏やかな新春にて | |
2025/01/05記 | |
2025年が始まり、もうすぐ5回目の日没の時を迎えようとしている。昨年は元日に能登半島で大規模な地形変動を生じる地震が発生して多くの集落が孤立する中、緊急物資を届けに行こうとした海上保安庁の航空機が誤って滑走路に侵入して日航機と接触事故を発生して炎上するなど、今年はどうなるのだろうと心配する中での年明けに成ってしまった。 しかし、日航機から乗員乗客合わせ379人が全員脱出に成功するなど奇跡のような対応も行われ、能登には支援の手が届きにくく復興に至る以前の後処理すら進まない中でも多くのボランティアが国や県といった公的ルート以外でも現地に入り、支援に回っていることは僅かであるが明るい方向である。災害関連死も増加中であり秋の豪雨災害や現地でのインフラ復興の遅れに伴う生活基盤の喪失など、重たい課題は今後も続くであろうが力強く復興に向けた歩みを続けてほしいと願うばかりである。 今年は各地で火災や交通事故などは発生し、コロナウイルスやインフルエンザウイルスによる感染症の流行が例年より遥かに高い状況で医療機関が逼迫気味であるという状況下であっても、新聞紙面の第一面に大きな写真が掲載されるような国民全体で悲しむような災害や事故を経験せずに過ごせたことは有難いと感じている。 もちろん、ガザやウクライナ、ミャンマーやスーダンなど世界の多くの場所で兵器の使用により直接的な悲劇が生じており、北朝鮮を始めとした多くの政府による抑制で正月を祝うような状況にない人々も多く存在することも、頭の片隅には置かねばならない。 日本国内でも貧困や障害により希望を持てない人は少なくないと思うし、中には闇バイトに応募して個人情報を抑えられたとか、日常的な暴力や迫害で追い詰められている人たちも数多く新年を迎えたことだろう。 社員に年末の給与を払うことに苦労した経営者や借金の支払いを何とか過ごすことのできた負債者、思うように受験勉強が出来ず新年早々に入試に向かう受験生、昨年のうちに親しいものを失った人たちなど、正月を祝う余裕のない人たちも数多くいることであろうが、それでも今日より明日は明るくなる、春が来れば世の中は明るくなると信じられるような年明けを迎えられるように政治の世界が頑張らなければと年頭に思っている。 少数与党で運営される内閣でも国民生活を停めることの無いように野党との調整が進み、自国第一主義がはびこる国際社会でも常識と協調の下でお互いの役割を果たし、科学の英知と人々の営みが同じ方向を向くことで地球温暖化を始め人類の存在による様々な被害が軽減され持続できる社会に成っていくことを、新年早々に夢想したいのである。 現実には海溝型の大地震や誘発される富士噴火などのリスクが目前に迫り、加速する気象災害に伴う河川氾濫や高潮被害も想定する必要のある世界に住んでいる。スペイン風邪から新型コロナまで百年であっても、次のパンデミックが百年待ってくれる保証はない。トランプ大統領の誕生は国際政治の災害に成りかねないしプーチン大統領は何時まで核の使用を思いとどまってくれるか保証はない。第一次大戦の悲劇を知りながら第二次世界大戦が停められなかったのであるから、戦争の悲劇を実感しない世代には戦争を回避する意識の低下が否めない。 第二次世界大戦の終結から80年となる今年は、人類が居住する場所で核兵器を使わなくなって81年目に入る年でもある。戦争が無く、自然災害で被災する人々が極力少なくなる世の中を願いながら、今年最初の思うことを記載する。 |