新旧メディアを思う
2025/01/21記
 アメリカ合衆国の大統領にトランプ氏が就任したことの報道が朝から繰り返し流れている。今までの報道にかかわってきたキャスターや解説者にとっては常識の通じない大統領が不安だという声が続く。パリ協定からの離脱や化石燃料の生産を奨励するだけではなくメキシコ湾をアメリカ湾と言わせようとすることは日本海を東海と呼称するように世界に働きかける韓国人の様でもあり、私も気が重くなっている。
 
 報道の多くが不安を表明していると記載したが、現在はテレビや新聞といったものはオールドメディアと扱われ、そこに存在する慎重に情報を集めて判断する記者の存在と同じように、ネットで流れている情報を取りまとめて裏も取らないまとめサイトなるものを運営する者たちが新たなメディアと取り上げられており、その様な者たちはトランプ大統領の誕生に大きな貢献をしたようだ。
 
 N党の立花隆が広告料収入を得るためにか憶測だけで批判を繰り返した兵庫県の元県議が自殺に追い込まれている一方で、フジテレビは事件には成っていない芸能人の倫理的な問題で広告料収入が激減している。目前に起きている現象が新旧メディアの交代を象徴すると単純に感じている人もいるようであるが、既存のいわゆるオールドメディアは多くの人員を要して事実を明らかにしようとしてきたことが軽視されているように思えるのだ。
 更に言えば新聞配達という形で多くの情報を伝える役割を果たし世界的にも稀有な発行部数を誇ってきた日本の新聞社も、新聞を購読する世帯数の減少や広告主の減少で危機的状況にあるようだ。ネットで有料記事を配信することで生き残ろうと苦労しているようだが無料の引用記事に駆逐される危険性は続いている。
 
 ネットからの真偽が疑わしい情報を信じて県知事や大統領を当選させ、今までの情報伝達手段であったプロの送り手がいる組織を軽視すると、今後はプロの記者が減少して混沌の時代に成ってしまうのではと私は心配している。
 もちろん現在の報道機関でも評価に値しないような偏った価値観での報道をするものや被害者家族の心情を踏みにじる行為を行うものが居ることは知っており、嘆かわしいことだと思っている。
 それでも自らの素性を隠したままで被害者や犯罪者の個人情報を暴き立て、嘘の情報も加えていることに反省も罪悪感も感じないネットメディアが主流になれば、世論というものは何処に向かってしまうのだろうかと心配になるのである。
 
 ルワンダで同じ言葉を話して一緒に住んでいたツチ族とフツ族が殺し合いを行った原因はオールドメディアに属するラジオであるので既存の報道機関が全て安心というわけではないことは解るが、いまのネット空間では敵と味方を造り区分けすることが加速しているように感じる。
 関東大震災のときに発生した朝鮮人が井戸に毒を入れて回っているという噂を信じ、現在の野田市の一部である旧福田村では香川からの行商の一行が休憩していたところ、地元の自警団に言葉遣いが違うからという理由で朝鮮人と疑われて襲われ、15人のうち9人が殺害される事件も起きた。それから今年で102年が経過するが兵庫県で元県議を自殺に追いやった新メディアといわれるネット空間は何か進歩しているのだろうかと思う。
 
 技術の革新で世の中が進歩すると思っていたが、確かな情報を伝えてくれる確率が高いプロの報道関係者が食べていけなくなるような世の中に成り、注目を集めるためなら何をしても良いと感じるものが多くの人々に影響を与え信じさせるようになったのであれば、私はそれを進歩とは思えない。
 災害時に乗じて注目を集めるために嘘の情報を流して稼ぐことで被災地で余分な負荷をかけ助かる命が無駄に失われていることに想像が及ばない者たちには安住の地が無くなる様に願っているのであるが、昨今の状況を見るとその願いが達成されるのは今年ではないように感じてしまう年始である。