変な設計を憐れむ
2025/07/02記
 平成10年10月6日に設立認可公告が行われた金田西特定土地区画整理事業は使用収益を開始した地域でコストコ日本法人の本社が移転してくるなどで注目を集めつつ、事業の終盤に向けて残された道路の舗装工事が進められている。確定測量や換地処分も終え組合が解散されるまでには長い時間を要しないだろうと推測している。木更津市で26番目に完成を迎えるこの区画整理事業をもって大規模な宅地供給が終わり、次に続くものが無いため人口増加の起爆剤を他に求めることが必要になってくるが、それは別の機会に整理したい。
 
 区画整理は事業費を減歩によって生じた保留地という土地の売却で償還することが原則となっているためバブル崩壊に伴う土地下落が激しかった木更津市では組合に代わって事業を進めてきた業務代行会社の多くが苦境に陥った。着手間もない笹子などの組合はそれまでに負担した事務費や水路整備などに投じた工事費を全て業務代行会社が負担することで解散して区画整理を停めたところもある一方で港南台やほたる野、羽鳥野などでは工事が進み過ぎて停めることもできなかった。その様な組合では事業の質を低下させたり道路整備を廃止するなどして費用を徹底的に軽減し、それでも埋めきれなかった負債をゼロにするため相場より遥かに高額な単価で業務代行会社が保留地を購入して地権者への負担をさせずに解散するという道を進んだ組合も有る。
 
 千束台では業務代行が事業を放棄してそこまでの事業費を組合に求める法廷闘争に進むなど混迷を深め、地権者は土地の大多数を失った後で賦課金を取られるなど修羅の道に進んでしまった。最後には建築事業で利益を得ることが可能な新昭和が組合解散への手助けをしてくれて何とか蓋締めを行えたが、それがトラウマになって木更津市では次の区画整理の話が出てこないのである。
 金田西は千葉県が事業者となり地権者と減歩率40%の約束をしてしまったので保留地を売却しても残る負債は県と市で案分することに成っている。土地の評価が上がり潤ってる金田の地権者と全てを失ったような千束台の地権者には天地の差が有るが、それは事業を進めるという局面での選択の差であり、不公平ではあるが仕方がないと考えられている。
 なお、同様に減歩率が固定されて事業の採算が危ぶまれた金田東については、事業者の住宅都市整備公団(現在はUR都市機構という愛称で呼ばれる独立行政法人都市再生機構)は地元に過度な負担を求めることもなく13年前に無事街びらきをして頂いたことには感謝するばかりである。
 
 前置きが無くなったが、そんな金田事業の設計で激しい違和感を18年前から感じていた場所の舗装が進んだので写真を撮影してきた。先ずはそれを見てほしい。
 
 
 
 何が変だか解らない人のために説明すると、歩道の幅が突然狭くなり、その奥では歩道を挟んで両側に車道が有るのである。
 
 種を明かせば、この道路は全長1,140mの都市計画道路金田岩根線であり、写真奥にある小櫃川を横断するために道路が高くなり、その手前で交差する2本の道路と平面交差にすることは勾配の関係で難しいので、この場所から橋梁にすることで2本の道路とは立体交差にする計画とされていたのである。
 歩道の幅が狭くなるのは高価な橋梁では歩道の幅を縮小することが道路構造令で認めらえているので教科書通りに狭くしているからであり、奥の方で歩道の両側に別の道路が有るのは橋梁からでは出入りが出来なくなるためである。
 つまり現在奇麗に舗装され白線も引かれている道は仮の姿で、計画通りに道路を造るためにはこれを壊し、橋台や橋脚を施工した後に橋桁を架け、その上に新たな道路を設置することに成るのである。しかし、岩根側で接続する都市計画道路木更津駅万石線はアジサイ通りとして江川までしか整備されておらず、区画整理の事業期間中に橋梁が施工されることが無いことも前提だった。
 
 市議会議員に当選して所属した建設常任委員会で金田西区画整理組合の事業説明を受けた時に、橋梁に成らない土地を放置するのでなければ平面で交差する道路として当面の間使うことに成るので、この様な結果は容易に想像できたので計画の見直しを求めたが、県が決めた計画を市が見直しを求めることが難しという意識と、出来上がりがイメージできない想像力の貧困でこの様になってしまったことは哀れですらある。その前に潤井戸や千原台、羽鳥野の区画整理で設計監理をしてきた私は、それらでも幾つか「変な設計」が進められており、それを繕うような仕事を多くしてきたので計画段階で正そうと思ったのだが、1期生の意見に耳を傾けるものが居なかったことも残念であり力不足も反省する。
 
 木更津市での道路事業の優先順序を考えると当該箇所に橋梁が施工させることは30年は想定できず、場合によると将来の見直しで廃止対象路線に成るかもしれない。その頃には何でこんなことに成っているのだろうと多くの人が思うだろうし、なぜこんなものを認めてしまったのだと言われる気がして自己保全のために今回の記載をしている次第であるが、考えてみると30年後に生存している可能性は低いだろうとも思うのである。