| 保守と反戦を思う | |
| 2025/08/05記 | |
| 明日の朝8時15分。広島に米軍が原爆を投下し、初めて人々が暮らす都市の上で核爆発が起きてから80年を迎える。当時を知る人々が減少する中で昨年のノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(以下「日本被団協」)が選出され、選出したノーベル賞委員会のフリードネス委員長が先月来日し「記憶を平和への力に変えようとする姿に刺激を受けた」と話している。また世界の為政者が核使用を脅しに使う現状を「被爆者が築き上げた『核のタブー』が今、脅かされている」と危惧し「全ての国の指導者に核兵器が二度と使われないよう努めてほしい」と記者会見で述べている。 広島にウラン型を投下した3日後となる8月9日の午前11時22分に長崎でプルトニウム型の原爆が炸裂し、両市で合わせて20万人を超える死者を出して以降も核兵器は増え続けているが、人々が住む場所で原水爆が80年近く使用されていない。 このことは広島の被害を世界に伝えてきた「日本被団協」の活動や「原爆の子の像」のモデルに成った佐々木禎子さんが被曝から10年後に回復を祈りながら折り鶴を折り続け亡くなったことと同級生たちが平和を求める運動を進めたことを文章にした人やそれを世界に紹介した人、被爆者である漫画家の中沢啓治の自伝的な作品である「はだしのゲン」を少年ジャンプに連載させ続けた編集者やそれを世界に広めた人など、多くの人がきのこ雲の下で何が起きていたかを伝え続けてきたからだろう。 被曝した人々が世界に原爆使用という過ちを繰り返さない努力を進める中で、唯一の被爆国である日本はアメリカの核の傘に守られているために原水爆の削減に関する国際会議に後ろ向きであることには私も如何なものかと感じ続けている。 日本国内でも原水爆の禁止を求め1955年に原水爆禁止日本協議会(以下「原水協」)が結成され、反核・平和運動が始まったが日米安保や原子力発電への対応で自民党系と民社党系の勢力が脱退し、更に全ての核兵器に反対する社会党系の勢力が「防衛的立場の社会主義国の核兵器はアメリカ合衆国とは違う」とする日本共産党系から分離し、1965年に原水爆禁止日本国民会議(以下「原水禁」)を結成する。 それ以降、広島の平和の集いも原水禁と原水協の対立が続いていたがベルリンの壁が崩壊しソビエト連邦が消滅したことで対立は表面化しなくなったが未だに分裂したままであることは運動の方向性が定まりにくい原因に成っているものと私は思っている。 自民党系を中心とする保守系の立場の人でも多数は反戦の考え方を持つものであり、参政党の核武装容認論も核兵器を他国で使おうという文脈ではないことは明らかである。 私の知人の分析によると保守系の人は戦争は「おきてはならないもの」であり、戦争に至らないための抑止力を準備しようという考え方に立ち、近隣国が軍備を強化し、現実的に領有権が争われる領域で基地の建設を強行するような軍事的行動をとる以上は必要最低限の軍事力を整備して抑止せねばと考える。 一方、革新系と呼ばれる人の中には戦争は「あってはならないもの」であり、戦争を引き起こす要因となる軍事力や兵器は所有すべきではないと考える。この延長線上にオスプレイ反対運動も存在していると私は理解している。 互いの考えは別の宗教のように相まみえることが難しく、私も革新系が主催する戦争に反対する集会では「自民党政治を許すな」という動きが強すぎて近づきがたい。更には「反戦」というフレーズが保守政治の否定だと短絡的に捉えるものも多く、表立って言えなくなることも不幸な話である。 その様な延長線上に「石破談話」の発表に反対する自民党の主流派が居るようだ。俗に言われる「自虐史観」を続けることには私も抵抗があるし、世界遺産登録に対して自国民の奴隷的虐待が有ったからと反対を続ける隣国にはうんざりしている。それでもアジアで唯一の軍事大国となり出兵に伴い多くの国に影響を与えてしまった国の首相として被害を与えたことに対する反省とともに欧米がアジアを植民地にしてことに対する反省を求めたりアメリカが焼夷弾による空襲や原爆投下などの国際法違反をしていたことも糾弾して欲しいと思うが、それは流石にハードルが高いでしょう。 日本では戦後80年に渡り日本の軍隊(自衛隊)が他国民を殺害していないという軍隊としては奇跡のような状況が続いている。そのことが国民の中に戦争で生じる市民への被害を忘却させ、プライドを保つために威勢の良い話が評価されるように成るのであれば問題は大きいと思うが、別の意味では「反戦」の立場から保守が追い出されていることも影響していると思うのだ。 それ以前に先の大戦の捉え方に大きな差がある事も分断を深めている。戦争を「あってはならないもの」と考えれば戦前の軍隊も全否定となり、日本軍は悪いことをしてきたと思うだろう。 保守系の私は日本が欧米の植民地に成らないように軍事力を高める中で、近くの家から徴兵され戦場で亡くなった方々が地元の墓地に葬られていることを昔から見ているし、欧米が植民地支配して教育を施さずに1960年代まで独立を果たせなかったアフリカ諸国より日本が教育や軍事練習までも与えて大戦直後に独立した東南アジア諸国の統治をより良いと思うし、特に台湾に残る精神的遺産には有意義なことを理解し、日本軍を否定しないでいる。 ソ連が自由を求めるチェコスロバキアに戦車を進めて運動を抑制させたプラハの春のように強いものに従っていれば短期的には戦闘で死ぬものも少なく戦争は「あってはならないもの」となる。 ロシアがウクライナに戦車を進めた時に国家の自主独立を求めて交戦したことは正しくない措置と判断するのであれば、中国共産党が一つの中国を理由に台湾に進行することも無抵抗で許すべきとなる。更には清朝に朝貢していた範囲を「中国」として認識することでチベットや内モンゴルを版図にしている国は琉球王国であった沖縄県及び鹿児島県奄美地方を自国と捉えることも強いものには逆らわないことに成ってしまうが、それは単なる弱肉強食の世界であり個人の自由が抑制される世界である。 軍事産業にも支援されるトランプ大統領は世界的な軍縮を進める考えは無く、欧米やアジア諸国に応分の負担、つまり米国製の武器購入を求めている。軍事費に投入する費用を地球温暖化防止につぎ込むことが求められていると若者の多くは気が付いているが年老いた政治の世界では話題に上らない。 原爆投下80周年の前日に群馬県伊勢崎市で観測史上最高となる41.8℃を記録する中で、保守が反戦から切り離されているように感じながら、個人的な思いを整理して記載した。 |