75.1月下旬の活動記録
 21日は前夜の疲れが残る中、幕張で免許の更新を行い、千葉県庁に政治団体の収支報告書を提出してから、市役所に行き執務と打合せを終えた後に帰宅。午後6時半から東京で公務を果たしている議長に代わり木更津ユネスコ協会の新年会に出席した。連日の新年会で、翌日の富津も厳しそうなので他に立ち寄りもせずに真っ直ぐ帰宅した。
 
 22日は朝からHPの更新作業を進めた後、富津で研修会の準備中の議長に代わり木更津赤十字奉仕団の新年会に出席する。
 式典後の懇親会を途中で抜け、富津市役所に移動し「地域の経済構造改革」と題した総務省地域改革課小野寺理事官の講演を聴く。就業の場を作るべく国の方でも様々な支援策を設定しているがやる気のない地域や自治体を支援することは出来ないという話に同意し、木更津での対応状況はどうかと気になる。
 研修会終了後は大貫で四市の議員による大懇親会に出席する。他市の議員と話をすることで相対的に木更津が見えてくることもあり、この様な場を多く設けたほうが良いと多くの議員も話していた。
 
 23日は個人的な仕事を終えた後、エルシオンで11時より開始される「君津郡市建築組合連合会・職業訓練法人君津郡市職業訓練協会創立50周年記念式典」に出席する。50年前には604人で始まった組合も現在の会員数は228人と減少している。今後も地域の匠を育む体制の維持が課題だろう。
 帰宅後にHPの更新やメール等の処理を行うと共に後援会報の印刷に向けた手続きを行った。
 
 24日は朝からアクアラインを渡り、前日から実家に帰っている嫁の元を訪れ、一緒に群馬県に向かう。目的は高崎に発注した選挙用ダルマの受取であるが、途中で前橋に住む嫁の友人を訪ね、水上の宿には夕方に到着した。近くの土産物屋に「関東一のかまくら」が出来ていたが写真では大きさが伝わらない。
 
 25日は朝一番に大穴スキー場で初滑りを1時間ほど楽しんだ後、オスプレイ誘致を決議した榛東村役場と相馬原駐屯地に行く。誘致看板か反対看板が有るかと思ったが目に入る範囲には何もなかった。
 高崎で選挙用のダルマと土産物用に嫁の注文した多くの小さいダルマを購入してから小林山達磨寺に参拝する。4年ぶりに多くのダルマが納められている姿を見てから松井田の「ろうばいの郷」で芳しい香に包まれた後、都内で用事を済ませて帰宅した。
 
 26日は個人的な仕事を片づけていると後援会報が予定より早く納品され、発送のための備品を購入したり袋詰め作業をして過ごした。
 
 27日は朝から雑用を片づけた後に市役所に行き、副議長としての執務を片づけ、午後からは農協の理事会に出席し、8件の議案と23件の報告事項について審議を行う。日没後に帰宅し、袋詰め作業を開始するが進捗率が上がらないまま疲れて就寝した。
 
 28日は朝から後援会報の発送作業を進め、日中は市役所で執務を行い、午後は私的な仕事を片づけた後にHPの更新を行う。前日まで暖かな陽気であったが、この日は寒波のため手が痺れながら作業していた。夜には会合に出席し、深夜遅くに帰宅した。
 
 29日は午前中に私的な仕事を片づけた後、昼前に市役所に行き、昼食を摂りながら「羅針盤」の会派会議を行い3月議会の代表質問と予算審査特別委員会の人選や質問事項の調整等を行う。春の統一地方選挙に向けた意見交換を行う中で、県議会議員選挙については1年前の市長選挙の協力体制などを考慮し、皆で
森岳(もり・がく)候補を支援していくことを確認した。会派会議後は議長室で副議長としての執務を行い、買い物をしながら帰宅。この夜も後援会報の発送準備を深夜まで行い続けた。
 
 30日は朝から冷たい雨が降っているので事務所に籠もって後援会報の発送作業を黙々と行う。夜8時過ぎに2週間前に撮影した選挙ポスター用の写真データを入手し、夜10時過ぎに後援会報発送の作業が終了したが、肩や腰は鉛のように重くなっていた。
 
 31日は9時に木更津郵便局に行き後援会報発送手続きを行い、11時には木更津ビューホテルで開催される「渡辺よしくに後援会新春賀詞交歓会」に出席する。渡辺後援会が森岳候補を応援する事がこの日に披露された。
 賀詞交歓会が終了後、市内で看板の更新について打合せてから帰宅しHPの更新作業を行った。連日の後援会報の作業で事務所の片付けも進まないが、明日も行事が立て込んでいる事に気が重くなった。
 
 夕方に気分転換に江川海岸の夕焼けを見に行くと多くのカメラマンが集まっていた。この風景を活かせば集客が出来るのに、と思いながら写真を撮った。
 
 
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2015年2月上旬の記録