道東避暑ドライブ 2024.7.25〜2024.7.28 スズキスイフト(タイムズレンタカー)
▼ 25日 釧路空港〜釧路  夏休みの家族旅行で行きたいところを妻に聞くと何処でもお任せするというので涼しくて個人的な心残りが多い道東を選んだ。日程は8月に行事が多いので24日の盆踊りの翌日の午後便で釧路まで飛ぶ計画として空路とレンタカーを予約し、妻に釧路の宿を連泊で確保してもらって準備を整えた。前夜の盆踊りで飲み過ぎて寝てしまい準備が出来なかったので出発日の午前中に半日在宅勤務とした妻の隣で家族の準備を済ませ、木更津金田BT13:26のバスで羽田空港に移動すると物心ついて初めて乗る飛行機に娘は興奮状態で荷物を運ぶのを手伝ってくれる。実際に登場するとはしゃぎすぎたのか離陸前に寝てしまった。目を覚ます頃には釧路空港に降りる直前であった。
 予約していたレンタカーを借りて釧路のホテルに移動する。色鉛筆を荷物に入れながら塗り絵を忘れた娘のために途中の100円ショップで買い物を済ませホテルには19時近くに到着する。夏限定の岸壁炉端に行くつもりでフロントマンに聞くと既に営業が終わる時間だと言われ代わりの店を教えてもらい釧路発祥の炉端を満喫し鳥松でザンギを土産に購入して初日は終わった。ホテルに帰るとパリオリンピック開幕間近の現地情報をテレビが伝えていた。
▼ 26日 釧路〜根室〜釧路  目覚めるとテレビがパリオリンピックの開会式を伝えていた。朝6時半から朝食を食べ8時前にホテルを出る。妻子は昆布森の近くで昆布を干す作業に感動し国道沿いに展開する牧場に楽しむなど北海道の風景に満足している。厚岸大橋を渡りあやめヶ原や琵琶瀬展望台、霧多不岬に立ち寄る。これらは私の自転車旅で行かなかった場所で道内で出会った旅人から話を聞く中で行かねばならないと思いながら数十年が経過した場所なので妻子を巻き込みながらもやっと来られたと密かに満足する。展望台に近い売店では妻が関東では見られないような多くの昆布を買い求め、岬では野生のラッコを探し続けるなど妻子とも満足したのであるが岬の先端まで行った娘は甘えたように帰路を歩くことを放棄し、上り坂を妻がおんぶする羽目となり、想定外に時間を費やす。
 ホクレンの指示を受けずに品質管理を行いハーゲンダッツの原料に指定されているJA浜中の牛乳を飲みたくなり茶内のコープに立ち寄る。夕方からイベントを行うために準備されている焼き鳥などに後ろ髪を引かれつつ牛乳を探すがJAブランドが無くて近くに工場のあるタカナシ乳業の「夏の牛乳」という1リットルパックとカップを購入する。車に戻り運転中に飲むと関東で出会えないような美味しさに驚かされ3人で直ぐに飲み尽くしてしまった。
 国道44号線を走り昼食を予定していた根室市のどりあんには13:40に到着する。平日なのに昼食時を過ぎても込んでいることに驚かされる。私はここでエスカロップを食べることが夢の一つであったが妻の頼んだ左写真のオリエンタルライスも美味しくて満足する。近くの明治公園で腹ごなしをしてから納沙布岬まで足を伸ばす途中で日本百名城中到達難易度が高いチャシ跡群にも立ち寄る。
 小さな駐車場から熊でも出そうな道を歩き、せめて復元施設が有れば理解も容易なのにと思いながら草刈だけされたアイヌと和人の争いの歴史遺跡を見学する。看板の内容を説明した娘から和人が何故71人も殺されたのと聞かれ搾取や圧政という概念を説明することが難しく悩まされた。235年が経過して国内では同化政策も進みアイヌの言葉や文化が失われつつあることなど妻に対しても説明が難しい話は多いが詳細は翌日に持ち越す。
 妻子を連れていきたかった納沙布岬には午後4時過ぎに到着した。奇跡的に晴れて貝殻島の灯台や諸島の姿も見えて、あそこは日本人が住んでいて日本軍が武装解除した8月15日から降伏文書に調印する9月3日までに占拠され今では簡単に行けない島になったと説明するが小学校2年生には難しい話だったと思う。旧島民が減少する中で風化しないように次世代に現地を視させたいと思うミッションは終わったが娘は売店に並べられていたシマエナガのグッズにすっかり夢中であった。
 
 復路で時間が取れたら花咲岬でも立ち寄りたかったが、厚岸で牡蛎を食べるために帰り道を急ぐ。日が暮れ始め、往路でもトイレタイムで立ち寄った厚岸グルメパークに入ろうとすると手前の住宅の庭に鹿の群がいた。まさか飼っているのではないだろうと思いながら道の駅で生カキなどを食べて精算の時に話を聞くと山から下りて普通に住宅に入り庭の植木も食べているということに深刻な被害状況を理解する。駐車場には多くのキャンピングカーが駐車されて今夜の宿にすると思われる駐車場の中にはキタキツネも現れ、猪に苦労する房総半島なんて鼻で笑われるほど北海道の野生回帰の被害は大きそうだと想像される。
 夕食後は釧路市街にある日帰り温泉のふみぞの温泉に立ち寄る。ホテルにも狭い温泉浴場は有るのだがサウナや露天風呂を楽しみたいと考えてのことである。湯上がりにはホテル近くのコンビニで麦酒等を購入して部屋に戻った。妻子は疲れて直ぐに寝てしまったが、私はオリンピックの柔道競技を見ながら麦酒や酎ハイを飲みすっかり夜更かししてしまった。
▼ 27日 釧路〜阿寒〜釧路  オリンピックのために寝不足ではあったが6:50より朝食を食べ霧雨の中を北上する。気温は17℃しかなく寒いくらいである。当初は娘に湿原のカヌーを体験させたかったのだが天候が雨でないと解るまで予約を控えている内に枠が無くなり実施できなかった。仕方がないので細岡展望台から湿原を見渡そうと向かうが、霧のため阿寒の山も見えず広いことだけが理解できる風景であった。広大な湿原が開発の手を逃れて残されていることの重要さも娘に伝えることは難しい。
 次に多和平展望台に立ち寄る。牧場の真ん中でソフトクリームを食べて地平線を見るだけの予定であったが乗馬体験も行っていたので乗りたいという娘を乗せてあげる。体験する距離はマザー牧場などと大差ないが背景の違いが広大な北海道という気持ちにさせる。23年前に行った開陽台と両方を経験できて幸せである。
 朝から雲が多いので摩周湖をパスして硫黄山に向かったが一気に晴れて気温も高くなってきた(とはいえ24℃である)。マグマが見たいと言う娘に国内で最も近くで見られる蒸気口を教えるつもりだったが、硫黄の臭いが気持ち悪いとアッという間に逃げていった。そして麓の売店で見つけたシマエナガのぬいぐるみから離れなくなり、良い子になるから買ってというので条件を付けて3160円する中型のものを購入してあげる。
 
 川湯温泉の足湯、弟子屈湖の砂湯などを観光して阿寒湖半に到着したのは午後2時に成ろうとしている頃であった。ここでレイクロブスターと表現されるザリガニ料理を食べるつもりだったが時間が遅くてラストオーダーが終わっていた。妻子ともにお腹が減っていないと言うのでアイヌコタンの駐車場に車を停め妻子が買い物に勤しむ中で後継者の確保策や森林資源の問題などをお店の方から勉強させていただく。子供には継がせないというがインバウンドで湖畔は賑わっていた。
 最後に釧路市動物園に向かうようにナビに設定すると国道を離れて細い道を通ることを誘導される。両側に林が迫りエゾシカが横断してきたら逃げ切れないかもと思っていたら目の前を横切ったのは丹頂鶴の夫婦で急ブレーキで停車した。鶴は飛んで逃げないということが解ったが、危うく天然記念物を殺してしまうところであった。動物園には多くの家族連れが入っており特に夜の遊園地が賑わっていた。娘に2つだけ楽しませ営業終了前に動物園を出る。
 昼食を抜いていたので流石にお腹が空き、海鮮が苦手な娘のためにホテルの近くでジンギスカンを探したところ良い素材に大満足であった。私も肉と麦酒で釧路最後の夜を満足させていただいた。
▼ 27日 釧路〜釧路空港  最終日は朝から生憎の雨である。和商市場かMOOにでも立ち寄ろうかと思っていたが妻が空港に直行してお土産や食事を楽しもうというのでそれに従う。給油してレンタカーを返却しフライトの4時間も前に空港に到着する。レンタカー借用時に手に入れたフリーペーパーの割引を利用して土産を購入し、待合いに置かれていたアイヌの絵本を娘に読み聞かせ、スパカツを食べてから飛行機に乗る。到着が遅れたので羽田着も遅れ接続の良いバスが無くなり京急で品川に出て帰路につく。関東の暑さに音を上げながら避暑地の夏は終わりを告げた。

ブラッとドライブ memo.27