No.105 | 北覇編(1/2) (2/2) ←No104青島・No106鎮西→ | |||||||
旅行期間 | 2001年9月17日〜2001年9月30日 | 旅行日数:14日間 | ||||||
総走行距離 | 1,057km | |||||||
走破市町村 | 27 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:GT | ||||||
総費用 | 225,543円 | 当時の年齢:37歳 | ||||||
初日 | 2001年9月17日 | |||||||
輪行区間 | 自宅→木更津駅前→羽田空港→千歳空港、ニニウ→占冠 | |||||||
走行区間 | 千歳空港〜新得町サホロYH(輪行1回含む) | |||||||
走行距離 | 178km | |||||||
走破市町村 | 2(穂別,新得) | |||||||
累計数 | 3,195 | |||||||
14日に御蔵島から帰ってきて15日は写真の整理や旅の準備を行い、16日は青年会議所千葉県大会に出席するため朝から柏に行って夜遅く帰ってきた。 そんな日々の後に激動の9月後半の旅を行う。わずかな睡眠時間で5:20のアクアラインバスで6:00に羽田空港に到着し、6:55の全日空で8:25に千歳に着く。木更津の自宅を出て3時間半後には北海道で走り始められると言うのも便利である。 千歳から早来を抜けサラブレッドの牧場を脇に見ながら似湾峠を越えて穂別に入る。鵡川沿いに北上を行うと旧富内線の富内駅が出てくる。廃線から15年も経っているのに線路も駅舎も綺麗に保存されており嬉しくなる。「鉄道員」の映画ロケ地に使われたらしくセットがそのまま残っている。穂別町に特に期待していなかったが良い方に裏切られた気持ちである。 福山で樹海ラーメンを食べながら穂別占冠線の道路状況を聞くが占冠に行くとしても274で日高を経由して行くから道路事情は解らないし良く通行止めになると言われる。日高経由で行くと峠越えとなるため情報がないまま進む。少し行くと通行止めのゲート。道は随分良さそうだから気にせず進む。 道がダートになってくるが平坦で広くそれほど苦にならない。ニニウに近付くと道路を覆う倒木と落石に出くわす。これが通行止めの原因かと思い、自転車を担いで越える。しばらく走るとまた倒木が出て苦もなく越える。ニニウに出て難所も越えたなと思ったら突然道が50mぐらい崩落して無くなっている現場に出る。上部をトラバースすれば歩けないことも無さそうだが自転車を抱えてでは辛そうだ。歩行ルートを下見していると道路パトロールの車が後ろから来て、ここを越えてももっと酷い場所があり行けないと言われる。落胆していると占冠まで乗せると言うので言葉に甘える。パトロールカーは北に大きく迂回して林道で山を越えて占冠に出る。駅前で車から降ろしてもらい深く感謝する。予想外の出来事で時間を使い、既に夕暮れが近い。この辺りで泊まるのも手であるが明日の行程を考え、新得のYHを素泊まりで予約する。石勝線に沿ってトマムの前を通り抜け、狩勝峠に出たときには既に暗くなっていた。駅近くの蕎麦屋で新蕎麦を食べ、宿に着くと大学生2人と相部屋である。金を渡して目の前のコンビニで麦酒を買ってこさせ、北海道の楽しみ方やヒッチハイクのアドバイスなどを話して楽しい夜は更けていく。 |
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2日目 | 2001年9月18日 | |||||||
走行区間 | 新得町サホロYH〜足寄市野中温泉YH | |||||||
走行距離 | 162km | |||||||
走破市町村 | 9(清水,鹿追,芽室,音更,士幌,上士幌,足寄,本別,陸別) | |||||||
累計数 | 3,204 | |||||||
学生達に「良い旅を!」と言葉を残して曇り空の中を出発する。鹿追町に入るように38号線でなく十勝川の北側の道道で帯広に入る頃、天気も晴れてくる。241号線で北上すると直線が延々と続き、北海道を走っている実感が深まる。士幌でスパゲッティを食べ一休みをする。立花隆の『農協』でこの士幌町周辺の豊かさが書かれていた事を思い出すほど巨大なカントリーエレベーターが目に入ってくる。ここの農村風景は貧しさとは縁が無さそうである。 国道は東をむき始め、足寄の境界を越えると予想以上の下り坂で、実は結構登っていたんだと気づく。足寄から小誉地まで走り陸別町に入ってから岡を越えて241号に出る。この寄り道が足に効いて雌阿寒温泉への上り道がきつい。241号線から離れると自転車を押すようになる。歩くと周辺の自然環境がとても気持ちよい。だが、近くのオンネトー湖まで行くつもりだったのが気力も萎え、YHに着いたら直ぐに温泉に入り、夕食の時間まで部屋でごろごろする。今晩の宿泊客は1人だけのようでとてものんびり出来る。硫黄臭のする良い温泉に感動し、食事後も温泉と麦酒を繰り返す。湯治をしているような気分で早めに床につくのであった。 |
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3日目 | 2001年9月19日 | |||||||
走行区間 | 足寄市野中温泉YH〜標茶町なかまの家 | |||||||
走行距離 | 118km | |||||||
走破市町村 | 2(鶴居,標茶) | |||||||
累計数 | 3,206 | |||||||
雌阿寒岳に登って来て昼少し前に自転車で出発する。足寄峠を越えて阿寒側に降りていく雰囲気はとても気持ちが良い。阿寒湖畔で昼食に豚丼を頼んでいると携帯に一昨日の学生からメールが届く。「生まれて始めてのヒッチハイクで函館に向かっています。とても親切な人です。こんな楽しいことを教えてくれて有り難うございました。」という内容だった。私も過去の旅で出会った人達から色々な事を教えてもらい今に続く旅をしているのだと改めて思い返す。 阿寒から240号線で南下をする。道の両側に蝦夷鹿の群が頻繁に見える。これだけ居れば害にもなるだろうと思う。平地に出たところにある大正から鶴居村まで岡を越えていく道道に入る。振り返ると阿寒の山々が大きく聳えている。 鶴居村のAコープで500ccの珈琲牛乳を買って飲もうとすると翌年青年会議所の理事長になるAさんから電話が入る。「今年副理事長をしている人には頼みにくいのですが、四市合併を担当する委員会の副委員長をやってもらえないでしょうか」との内容である。理事長を決めるにあたってAさんに苦労をかけたているので断れない。私以上に苦労をかけさせたSさんが委員長だし、合併運動を傍観するより中心になってやらないと後悔しそうだから、これは心を決めようと受諾する。市町村の走破の旅の中で合併運動を考えるというのも妙な話である。 鶴居からコッタロ湿原を通り、釧路湿原を横断する。特別地域だから舗装をしていないと言うことであるが却って埃が上がり環境に良く無さそうな道であった。391号線に出たら北上し、とほ宿であるなかまの家に到着する。宿泊客は2人だけである。風呂は隣の温泉に浸かれるし、部屋も綺麗で、何より夕食が美味い。YHよりとほ宿と言われるわけだと身をもって知ることになる。 |
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4日目 | 2001年9月20日 | |||||||
走行区間 | 標茶町なかまの家〜斜里町岩尾別YH | |||||||
走行距離 | 165km | |||||||
走破市町村 | 0 | |||||||
累計数 | 3,206 | |||||||
美味しい朝食を頂き岩尾別までの走行を行う。この区間には未走破の自治体は無いので輪行しても問題無いが、今回は中間の輪行を行わない方針にしているし、天気も良いので憧れの開陽台と懐かしい知床峠に行きたいという思いも強い。 朝から摩周湖周辺の山が綺麗に見えている中を気持ちよく走る。今回の旅で北海道の走破が終わる予定であるが、またこの辺を走りに来ても良いなと思いながら開陽台に着く。最初に北海道を走った頃にはこの展望台の広場にテントを張り一夏を過ごしていたライダーが沢山居た話を聞いてその自由さに憧れた時が有った。地平線や国後が見える展望は変わっていないだろうが、展望台は綺麗に建て直されて小洒落た観光地になってしまっている。しかし当時を懐かしんだプレートが壁面に有り私まで何年もの時を戻されるようで胸を打たれる。 標津でいくら丼を食べて海岸沿いを北上する。知床に向かう道は気持ちがよい。羅臼で熊ノ湯にでも入ろうかと思うが駐車場が混雑しており、湯上がりに上り坂で汗を流すのも辛そうになり取り止める。前回はガスの中だったが今回は展望がよい知床峠越えである。国後をだんだん見下ろすようになり、明日登る羅臼岳が迫ってくる頃に峠に到着する。だいぶ疲れたが爽やかである。ウトロ側のダウンヒルも気持ちよい。登山口に近い岩尾別YHに着くと庭に鹿が居る。ここまで人を怖がらなくなると問題だ。荷物を降ろして知床5湖の夕焼けを見に走る。周辺の開拓地もだんだん自然に帰す運動が進んでいるようだ。私も1990年に「しれとこ100平方メートル運動」に参加しているので知床の変化は気になる。ふとYHが運動地区の中に残る唯一の施設であることに気づき、そこにYHが残っても良いのかと思う。夕日を見てからYHに帰ると大勢の宿泊客が居る。知床ファンを増やす為には役に立っているようだ。 |
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5日目 | 2001年9月21日 | |||||||
走行区間 | 斜里町岩尾別YH〜清里町緑風荘 | |||||||
走行距離 | 64km | |||||||
走破市町村 | 1(清里) | |||||||
累計数 | 3,207 | |||||||
登山以外の荷物はYHの玄関に置いて、霧雨の中を岩尾別温泉まで走り羅臼岳に登ってくる。山の上は晴れていたのに温泉まで帰ってきたら雨である。のんびりと湯に浸かっても止みそうもないので覚悟を決めて雨の中、合羽を着て走り始める。YHに着いて装備を全て付けて海岸沿いを走る。ビジターセンターの見学やウトロの観光などは雨のため中止し、ひたすら清里町営の緑風荘を目指す。清里YHを選ばなかった理由は温泉の有無である。雨は上がる気配を見せず、風まで強くなり、合羽の下の筋肉が硬直し、指先が凍えてくる。 辿り着いた緑風荘は公営とは思えないほどの立派な造りで、ロビーにカーペットまで敷いてあり、濡れたまま入るのが気後れする。合羽を脱いで受付を済ませ、乾燥室の有無を聞くと機械室に案内される。ボイラーを焚いており機械室の中は暑いくらいである。部屋で浴衣に着替えて濡れている物を機械室に干して温泉で暖まる。 生き返ったような気持ちになり、夕食を取りに食堂にはいると宿泊客は30人以上居るようである。1人用のテーブルで熱燗を飲んで刺身を食べながら隣のテーブルの50歳ぐらいの夫婦の会話に耳を向けると、明日朝に斜里岳に登るようである。遠慮しがちに明日登山口まで乗せてくれないかと頼むと歓迎を受ける。これで明日の行程は少し楽になった。就寝前に機械室に行くと服や靴は全て乾いていた。 |
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6日目 | 2001年9月22日 | |||||||
走行区間 | 清里町緑風荘〜美幌町美幌YH | |||||||
走行距離 | 52km | |||||||
走破市町村 | 2(東藻琴,女満別) | |||||||
累計数 | 3,209 | |||||||
昨夜約束した夫婦のレンタカーで登山口まで行き、斜里岳に登ってきて、再度緑風荘まで送ってもらった。油代だけでも受け取ってくれと申し込むが、別の所で旅人の手助けに回してくれと断られる。深く頭を下げて走り去る車を見送る。 緑風荘から登山用の装備を全て自宅に送ってしまい、かなり身軽になって走行にかかる。時計は既に3時を回っており、とても美幌以遠まで日のある内に走れそうもない。温泉は無いが安いから良いかな、と美幌YHを夕食付きで予約する。 後ろに綺麗な斜里岳を見ながら丘陵地帯を走り抜け美幌YHには午後6時過ぎに到着する。この美幌もそうだが多くのYHが高台にあり自転車では苦労する。直ぐに夕食の時間になり、アルコールも取らずにしっかり食事を取る。 当初計画では登山を早く終えて今日は留辺蘂まで走る予定だったから、今日の雪山による登山の遅れから来る走行距離の不足分は明日に積み越されてしまう。推定200kmを久々に走ることになりそうだから早出をするしかない。登山の疲れも利用して10時前には寝てしまうのであった。 |
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7日目 | 2001年9月23日 | |||||||
走行区間 | 美幌町美幌YH〜滝上町栄旅館 | |||||||
走行距離 | 207km | |||||||
走破市町村 | 8(津別,訓子府,置戸,生田原,遠軽,丸瀬布,白滝,滝上) | |||||||
累計数 | 3,217 | |||||||
朝6時にYHを出発する。天気は良いが気温は房総の初冬程度に寒い。美幌のコンビニでサンドイッチと牛乳を買い朝食にする。240号線で津別町まで走り開成峠を越えて北光社の近くに降り、そこから『ふるさと銀河線』に沿って境野まで走り峠を越えて留辺蘂に出る。美幌から39号線で来れば50km程度の距離を走破のため迂回し続けているから時間もかかるし疲労も溜まる。 留辺蘂から石北線に沿うように242号線と333号線で北見峠を目指す。途中にテーマパークの施設のような立派な公共施設が次々と出てくる。天気も良いからとても綺麗な建造物に見えるが、地方交付税や各種の補助事業がこんなものを作っているので有れば国の赤字も減ることは無いだろうと思ってしまう。 遠軽を過ぎて333号線を西に向かうと向かい風が強くなる。丸瀬布で瀧上の旅館を予約し、風と上り坂の2重苦を耐えて北見峠を越え、浮島トンネルを越えると快適な下り坂である。北見峠を登っているときには日没を回るかと思った宿に日が高い内に到着する。渚滑線の終着駅の駅前旅館だった雰囲気が残る良い旅館で、美味しい食事を食べて麦酒を飲んで宿泊料金が5,800円とは民宿のように安く申し訳ないぐらいだ。 |
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8日目 | 2002年9月24日 | |||||||
走行区間 | 滝上町栄旅館〜士別駅 | |||||||
輪行区間 | JR士別駅→JR手稲駅→札幌市手稲K藤邸 | |||||||
走行距離 | 111km | |||||||
走破市町村 | 3(西興部,下川,朝日) | |||||||
累計数 | 3,220 | |||||||
北海道走破の最終日と思うと朝から気合いが入る。また、今夜はK藤邸に行って彼と酒が飲めると思うととても嬉しくもなる。天候は曇りであるが雨は来そうもない。滝上から道道で西興部に入り,239号線で上興部のひなた母校まで走り、その建物を見てここに泊まっても面白そうだなと思う。栄旅館も良かったしこの界隈は観光地ではないが北海道を深く味わうには良いところである。下川で国道を離れ道道にてトンネルを抜けて朝日町に入れば北海道走破完了である。残る日本も34町村になり、いよいよ終了の日が近付いてきたことを実感する。朝日町から士別に向かう道は向かい風が強く最後の試練と力を振り絞る。街に入ったら昼食を食べる前に駅に寄って切符だけでも買おうと思う。 正午丁度に士別駅に着くと予定していた快速なよろ6号(13:11)の1本前の普通列車(12:14)に乗れることが解る。時刻表を見ると特急の接続も良い。昼食は抜いても構わないから早めに札幌に出ようと決め、切符を買うと輪行に残された時間は7分である。バタバタと輪行袋に自転車を詰め込み改札を抜けてぎりぎりで乗車する。もちろん弁当や北海道走破完了を祝う麦酒などを買う暇もない。車中でK藤に予定より早く着くことをメールする。旭川駅で特急ライラックに乗り換えるときにキヨスクで麦酒と缶酎ハイとつまみを購入して、やっと自分にお疲れさまを言うことが出来た。 手稲には15:23に到着する。K藤も今朝早く関東の荷物を札幌に降ろして昼から休みだというので駅前に車で迎えに来てくれている。スーパー銭湯に行ってさっぱりして、K藤邸に帰ると彼の嫁がチャンチャン焼きを用意してくれている。北海道完走を2人に祝ってもらい気持ちの良い酒を飲んだ。 シンガポールへ行く(2/2)へ |
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