世界の旅 ベトナム社会主義共和国:ハロン湾とハノイ市

2014.05.13-05.16 全日空で往復する阪急交通社のツアーに参加
▼13日 ハロン湾への移動  昨年の春に初めて訪問したばかりのベトナムであるが、澳門に同行した友人が行ってみたいというので今回は北部のハノイとハロン湾に行くこととした。西沙諸島付近で中国が石油掘削作業を始め、ベトナムと艦船の衝突が相次ぐ、ホットな話題と重なる時期の旅になったのは偶然である。今回は阪急交通社のツアーで約9万円の旅である。
 
 3月30日に羽田空港の国際便の増便に伴い開設された全日空のハノイ行き857便は、羽田空港を8:55に離陸するため、阪急の指定する集合時間は6:55であった。しかし木更津駅を6:00に出発するアクアラインバスで間に合うから羽田は木更津市民には大変便利である。チケットを入手後に朝食を取り、出国検査をして待っていると揺れを感じる。千葉県北西部を震源とするM4.9、羽田では震度3の地震であったが離陸が遅れることは無かった。
 
 現地の正午にノイバイ国際空港に到着する。時差は2時間なので日本時間では午後2時である。日本のODAで新空港が建設中であった。天気は快晴で蒸し暑い。ここで今回のツアーは我々以外に、横浜から来た高齢の女性4人組の6人であることを知る。直ぐにフォードのワンボックスカーで約180km離れたハロン湾クルーズの拠点であるバイチャイまで移動を開始する。高速道路もごく一部しかなく、中国国境につながる国道1号線も舗装はされているが段差も多く振動に疲れる。沿道では縦長の住宅建築が相次いでいるが外周に足場も無く、建設中なのか解体中なのか解り難い。夕方4時半にホテルに着くと、早速ビーチまで散歩に出かける。多くの海水浴客が居り、遠方には岩山が明日の期待を高めさせていた。夜には夜市を見て周り、ホテル近くのレストランでビールを飲んで就寝した。
 
 14日は5時に起床し、夜明け前から一人で散歩に出かけ斜張橋に上る太陽や開場前の市場を見て一旦ホテルに帰って友人と朝食を取る。散歩がしたいというのでまた外に出て街並みや市場などを見学して回る。太陽が昇ると日差しが厳しく感じられる。市場から片道100円のバイクタクシーでホテルに戻り、9:45のピックアップを待つ。別のホテルに居る4人組を拾った後、10時よりハロン湾クルーズが開始された。
 船は他の団体と相乗りかと思ったが、我々日本人6人とガイドだけであった。ハロン湾には5百以上のクルーズ船があるというので過当競争なのだろうと思うが、客の6人に対しクルーは9人もいる事に驚かされる。彼らの稼ぎに成る様にと、乗船後に早速ビールを飲み始める。クルーの一人が日本語の解る若い女性のカメラマンであったが、我々は写真を買わないから無駄に撮らなくて良いよと繰り返し念を押す。ハロンを漢字にすると下龍で、龍の背のような岩が続いている海を30分も進み、最初に近づく島に上陸してティエンクン鍾乳洞の見学と成るが、広さは想像以上でもカラフルなライトと人工の噴水、無理に何かに似ているという解説には興ざめする。鍾乳洞を出たら暑さに汗が噴出し、売店でビールを飲み干してから乗船する。
 クルーズは小学校もあるという水上生活の村に進む。すると小舟が横付けして貝や蟹を売りに来る。ハマグリ(ホンビノス貝?)が500円と法外に高いが特に気にすることも無く、一人千円分の海産物を購入し、さらに2人で1本のワインを頼んで昼食を華やかにする。巨岩の林立する世界遺産の海域をゆっくり進む船で、美味しい食事を取るのはとても贅沢な気持ちになる。
 食事の時間も終わると、女性陣が飽きてきたのか、急いで港に戻ろうと言い出す。私は船の上甲板に写真を撮影するために上がるが、強い日差しに焼けてくる事が実感される。船の中に戻ると真珠やテーブルクロス、土産物の加工品や絵葉書、更には刺繍を施したTシャツなど様々なものを売り始める。こんな物で利益を上げるから6人でも船を出せるのかと思いながら、雑な刺繍をしたTシャツを400円で買ってあげた。結局、クルーズはほぼ予定通り、午後3時少し前に終了した。
 
 女性陣は夕食前にオプションの水上人形劇とマッサージに行くと言うが、我々は代金の4000円を惜しんでホテルに帰った。外は熱中症になりそうな真上の太陽で気温は37度も有るようだ。そこでエアコンの効いたホテルの部屋で缶ビールを飲み、贅沢にも昼寝を楽しむ事とした。
 2時間ほど横になって体調も回復した頃、またピックアップされ女性陣の泊まるホテルの最上階で中華料理の夕食を摂る。紹興酒を頼むがウイスキーかワインしか無いことが解り、仕方ないのでまたビールを飲み続ける。外は満月で見下ろす湾の風景も美しいので、ベランダに出て写真撮影も楽しませていただいた。なお、この夜に中部のビンズオン省の工業団地等でデモ隊が中国企業を襲い、死者まで出たようだが、レストランに居た中国人の観光客は何も緊張することなく食事をしていたし、実は我々もそのニュースをまだ知らなかった。
 夕食後にホテルまで送ってもらうはずの車を夜市の入口で停めて降ろしてもらい、スーパーマーケットで土産や水、今夜の酒を購入する。ウイスキーの小瓶が思いのほか安かったので、部屋で2次会だと言いながら荷物を持ってホテルに帰り、先ずは缶ビールを飲んでからウイスキーに移るとコカコーラの味がする。ラベルの英文を確認するとウイスキーのコーラ割であった。すっかり騙されたと思いながら、追加の買出しも面倒になり、ほろ酔い程度でこの夜は終わりにする事とした。
▼14日 ハロン湾クルーズ
▼15日 ハノイ市への移動  昨日の朝に日が高くなってからの散歩が厳しいことを知ったため、早朝に市場周辺まで散歩に出かけ、路地で電話番号の落書き(?)に謎を感じながらホテルに帰り、朝食を摂ってからピックアップの車を待つ。ホテルのWiFi経由で携帯に入ってくるニュースから、中越間の紛争を知るが、現地では全く緊張感が無く、ギャップの多さに戸惑う。
 往路と同じ段差の多い国道で戻る道すがら、ツアー会社が立ち寄った休憩所は、韓国棟・中国棟・日本及び欧米棟と国毎に分かれた大理石の彫刻も販売する大きな土産物屋であった。昨日のスーパーで購入したナッツが5倍以上の値段で売られているなど、相変わらず観光客相手の商売であるため軽くスルーするが女性陣は色々購入しているようであった。
 「昼食はハノイ市郊外の新町(しんまち)で摂る」とツアーガイドのHUNGさんが言う。日本では新町は古い言い方で最近の開発地はニュータウンと言っていると教えるが、日本に留学もした事が無いのに豊富な知識のガイドさんと、それを教える日本語教育の質の高さに驚かされる。
 辿り着いた新町は日本の郊外団地のような質感でベトナムの発展の先端も知る事が出来るコース設定には感心する。食事後は陶器で有名なバッチャン村に立ち寄り工場見学を行う。その工場の売店で商品価格を聞き、外に出て数軒先の商店に入ると似たような商品は半額以下で販売していた。店先にはピカチュウもどきの焼き物もあり、この辺は中国と似ているなと思いながら安いほうの店で簡単な買い物を行う。
 初日に空港で両替した1万円(=204万VD)が無くなったのでハノイ市内のベトナム銀行に立ち寄ってもらって両替したら1万円は199万4千VDにしか成らなかった。羽田で両替したら166万7千VDに成った事から考えるとレートは良いが、アベノミクスが進んで日々円が弱くなっているようで微妙な気持ちである。
 
 旧市街に着き、日本に葉書を出す(日本まで約50円で日本の国内より安い)友人と郵便局を経て、ツアーに入っていなかったホアンキエム湖畔の玉山祠に入る。亀が剣を持って出てきて明軍を撃退したという故事の場所だが、2m以上の大型亀の剥製には驚かされる。旧市街は電動カートで回ると、欧米人の観光客も多く賑わっている。街中のケーブル線の煩雑さを面白ながら旧市街から別れ、ホーチミン廟に移動する。
 胡志明と漢字で書く初代ベトナム民主共和国主席は、レーニンや毛沢東と同様に保存されて廟に入り、それを軍が警備している。廟と建設中の国会議事堂との間には軍事パレードに使用される広大な空間がある。社会主義国は似ていると思いながら、5時の衛視交代を見ていた。
 控えめにツアーに着いている夕食を摂ってホテルに着くと荷物を部屋に投げ入れ、直ぐに「BIA HOI HANOI」へ向かう。ガイドはホテルの北側50mに有ると言い残して行ったが、ホテルのドアボーイは西側200mだと言う。ドアボーイを信じて行くとA12号店に到着する。全体で何店有るのだろうと思いながら中に入り、従業員の男女で椅子を振り上げるような喧嘩が行われている中、理解困難なメニューと格闘しながら2人でビール10杯とつまみ3品を頼み、合計で30万6千VD(約1500円)という安さに感動してこの日は終わった。
 
 最終日はホテルを9:25に出発なので朝6時に食事を取り7時から市内観光に出かける。ザンボー湖畔のレイクサイドホテルは日本人ビジネスマンが多い宿であるが観光地の市街地は遠い。目前の道で拾ったタクシーにガイドブックを見せて「一柱寺」まで送ってもらうが寺は改修中であった。実は本当の目的地は中国大使館なのだがガイドに無いので近くに送ってもらったのだ。工事中の寺などには見向きもせず歩いて大使館へと向かう。警備の警官やバリケードなどが物々しいかと思ったが何も無く、目前のレーニン像の前では優雅に体操を舞っていて拍子抜けする。
 軍事歴史博物館にある国旗掲揚台に登り、8:30の開場を待って2010年に世界遺産に認定されたタンロン遺跡の見学を始める。漢字で書くと昇龍遺跡で、下龍湾との対比も面白い。遺跡内には城址やフランス植民地時代の跡も多く、見ごたえがあるが観光客は少なかった。外に出ると歩道上にコートの線が描かれバトミントンの練習をしている者が居たり、将棋のようなゲームを楽しんでいたり、物売り以外にも公共空間は様々に利用されていた。北正門の先まで歩いたところで友人が疲れたというので観光を終えてタクシーを拾ってホテルに帰る。ホテルの北にも小さな「BIA HOI HANOI」が有ることが解り、ガイドの説明も正しかったことが解ったが、全部で何店有るのだろう。
 
 ピックアップされて空港に着き、チケットを入手したら女性陣と別れ、出国の手続きの前にレストランに行って昼食を楽しむ。ここのフォーは香草も入って美味く、今までツアーの味が薄い食事は日本人向けだったことを確認した。
 現地の午後2時、日本時間では午後4時に飛び立った飛行機は午後8時半に羽田空港に到着した。風も爽やかだが、もう直ぐベトナム並みの夏になるんだろうなと思いながらバスでアクアラインを渡り、ひたすら飲み続けた旅の砂払いに木更津駅近くの居酒屋で刺身をつまみに日本酒を飲んだ。この夜に女子サッカーの日本対ベトナム戦が有り、4-0で日本が勝ったので、ハノイに残っていなくて良かったなと思いながら旅が終わった。
▼16日 午前のハノイ市内